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あごひげ館長の飛び蹴り!       コメント自由に書き込めますよ!     右下 Commentsから どうぞ!
by kancho39
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カテゴリ:◆あごひげ吼える!( 25 )

●吼える● 反抗期には厳しく叱れ!!

■反抗期
反抗期には厳しく叱れ!これは子育ての鉄則です。だがしかし、親は何を勘違いしたか、どんなことも子供側に立ち、というか子供、子供、と・・子供の味方・・になり、正しい方向性、真理の見分けが分からなくなってしまっている場合があります。学校の勉強もツマズキは小学生高学年と中学の1~2年生にほぼやってきます。勉強や部活、友だち関係など、環境の変化に対応して行けない子が反抗期として強く出てくることも多く、親としては子供側に立つばかりでなく、大局を見て(着眼大局)、子供の、物事に向かう姿勢とか、対人の有り方など、物の見方考え方を様々な方法で導いてやる氣概が大切です。。一歩間違うと何でもかんでも他人を非難し、我が子の味方にばかりなることは親の逃げ!です。そういう意味では道場での指導も『まぁいいやー、』ではなく、『厳しさ』は絶対に必要ですよね。。学校が荒れている?!私たちの空手道場は学校ではないので教育委員会も何も関係ありません。厳しさも含めて子育て、教育上において任せられる道場である、、と親たちが理解した上で通わせてください。

★着眼大局、着手小局
という言葉があります。物事を捉えるときは全体を大きく※俯瞰(ふかん)し、実行するときは細部からきっちり、という意味です。つまり、目の前で起きている問題への対処は、その現場に特定して(パニーッ苦!)考えるのではなく、あくまでも最終的な目的目標、指針を満たすために、という全体的位置付けにおいて考えねばならない事です。子育ても長期的展望に基づいて、さらに中期的見通しも立てること。まずは近い将来どうなるのか、そしてそのために現在はどうなのか、ということを常に俯瞰することが大事になりますね。

※俯瞰(ふかん)  →空高く とんび や鷹のように眺めて見渡すこと。

■中学生
▲空手を続ける意味
空手を通じて高校に入るということは、道場と仲間達との関係があって高校に入る、活動していく、というこれまでに育てられた感謝を忘れてはなりません。※過去にも道場を通さないで勝手に学校側に連絡していたものが二名います。結局一人は受けても不合格、そして一人は私に言われて別の学校を選びました。
自分の子さえ良ければ・・と親はめくらになり考えがちですが、その後に続く後輩たちのためにも、道場と高校、道場と自分というものをきちんとした形で見つめて進んでください。空手を辞めれば自由です。しかし『空手』を続ける限りは必ず道場のみんなとしょっちゅう会いますね。みんなが見て居ることなので勝手な言動(道場のことを外部にブツブツや非難など・・)も慎むようによろしくお願いします。

※尚、現在はすごくいい雰囲氣なのでそういう人は勘違い人間は一人もおりません。が、、転ばぬ先の杖です。
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by kancho39 | 2006-07-20 13:16 | ◆あごひげ吼える!

●吼える● 初段~弐段

あごひげ館長

■1級~初段
予備審査なのか受験なのかは明日、先生方で相談し決めます。
◎初段は13000円。(受験料5000円、登録料8000円)
◎弐段は18000円。(受験料5000円、登録料13000円)

▲目安
1級となり1年が経過していれば受験してもいいでしょうが、ただし、昇級そのものが、必ず1級あがるということで、たいして稽古していない、またはその実力になっていなくとも1級に昇りつめているものもいます。こういう場合は1年が経過していても予備審査を重ねて実力をつけていくことがのぞましいと思います。そうでないと何回も落ちて自信を失うだけです。
弐段の場合も考えは同じです。一応、初段取得し二年を経過していれば受験資格はありますが、前述の理由で、予備審査なのか、受験なのかはこちらで判断いたします。

▲1級(または初段)となり、予備審査を一度でも受けていれば出来るだけ受験させたいです。ただし、前述の通り、個人差があるので受験OKの実力になったら受験させますので了解してください。予備審査は、無駄な審査ではありません。

▲今までは、『必ず合格できるもの』、を受験とし、受験そのものを厳しくしていました。しかし、今回からは審査員を増やして審査の目を厳しくすることで、
①再審査
②仮初段
③保留合格
④合格

と段階を作って示しています。

◎再審査とは不合格のこと。仮初段とは、黒帯を締めてもよいが初段ではないということ。初段合格まで頑張ってください。これらの場合は、登録料は事務局長預かりとなり、次回受験では受験料5000円のみとなります。
◎保留合格とは、3ケ月、6ヵ月があり、その時点で段位証を発行するのでそれまでの期間は修業を要するということ。

外部より5人の審査員(師範)を招聘します。審査は厳しいと思ってください。
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▲親に厳重注意!
 親が、受験の可否に拘ってたり、合否で何かにとりつかれたように親同士で話している場面を見ます。どうしてそう結果ばかりを追い求めるのでしょうか。予備審査を何回受けさせられてもいいではありませんか、受験してたとえ不合格でもいいではありませんか。頑張ったんであれば、どこが悪かったのか反省をし、本人が自分で努力し、弱点を克服して、またまた頑張っていつかは合格を勝ち得る・・、これぞ教育です。がんばる姿を親として正しい目で応援できるかどうかは、言わば、『親としての資質』の問題です。

 黒帯を取ったから一生涯において人生安泰か・・、そうではないでしょう。。苦労して、頑張って、人間形成の面で磨かれてこそ生きる黒帯、つまり、『心の黒帯』ではないでしょうか。

ですから、親こそこれらを理解する学びをし、成長を遂げていく努力をしましょう。。
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by kancho39 | 2006-06-27 09:20 | ◆あごひげ吼える!

●吼える● 親たちへの注意事項! 

あごひげ館長 投稿日:2006/06/23

注意事項!=新人、審査、団体
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■新しい人
特に東松島、河北カルチャー石巻には一度に新しい子が、それぞれ20人以上も入りました。活氣がありますね。この中から花帯が出ていっそう子供たち同志がお互いに刺激となり頑張ってくれることを願っています。稽古は、審査会が近づくにつれて指導者も熱を入れて檄を飛ばし、怒鳴り声もあるでしょう。が、長い目でのヒトコマであることを念頭において、ああいうこともこういうこともみ~んないい経験!と捉えること、そういう話を親のほうから子供にできるようにしてくださいね。みんな子育ては初めてなのです。何十年ぶりかで子育てをしているという人はいないと思います。みんな初めてですから、子供の右往左往・・に親まで振り回されてシドロモドロ・・となることのないようにどっしり悠然と長期戦の構えでお願いいたします。

▲受験の可否
最初の色帯は花帯です。私が発案し始めた色帯なので、世界でここだけの帯かも知れません。今度の昇級審査会では、30本は不足するであろうと想像し、今準備中です。尚、こちらでいくら頑張っても(あるいは親のほうでカリカリしても・・)子供本人に中々集中力が付かなく稽古についていけない子、これは次回にさせてください。焦ることはありません。他の子と比べるから親の要らざる自尊心、見栄・・でストレスになってしまうのです。もっと自然体に、親は氣構えをしっかり作るべし!親の背中は大きな鏡なのです。

▲自立って?
新しいお母さん、子育ては、子供たちの自立を導くことが先決であり、そのためには親もまた子離れ?というのかな、進めてみてください。いつまでも子供とずーっとベッタリ・・という親子がたまにいますが、何かある都度我が子を異常な目で追い、大人としての自分を忘れてしまっているようです。人生は積み重ねの上にしか成り立ちませんから子育てが終わる頃に氣付いてももう遅いのですよね。親もまた、子育て渦中の今こそ正しい学びを求めつつ、『教育空手』を推し進めるNPO日本教育空手協会の道場において成長できるよう努力しましょう。。。

■段、級への思い
子供たちは色帯の取得に目を輝かせて頑張っています。小休止になると、どういう訳か色別に遊ぶのが多いようで、例えば黒帯集団の中に茶帯が入っていくこともなかなか子供ながらに出来にくいのでしょう。色帯となり、さらに徐々に色が濃くなって茶帯を迎えます。黒帯の一歩手前では、うんと苦労して黒帯を取得したものほど黒帯としてのよろこびがあり、風格が備わり、地に足が着いて先輩となり、小さい子の世話も含めて一氣に人間形成の向上さえ見え隠れする瞬間でもあります。

▲親に厳重注意!
時々ありますが、あっちの子は何級でうちの子は何級になったとか、いくつ上がったとか、、、子供が言うならまだしも親同志で話をしていたりします(大会の後のメダルでもそう)。見栄っ張り体質と言うか成長していない親ほど、自慢に走ったりしやすいです。親子でそういう話をするというのも空手道の目的目標、本質を忘れた行為です。そういう親体質は道場全体の和を乱す一因にしかなりませんから、はっきり注意しておきます。

■団体戦メンバー
8/5 全日本少年武道錬成大会(8チーム出場)  日本武道館
8/19~20 全国中学生大会(団体2チーム出場)  京都

▲この二つの大会は、団体戦、一チーム3人であり、誰かが抜けると補充ができませんので他の2人は宙に浮いてしまいます。さらに、予算関係も大幅に修正をしたり、日程、世話人、準備体制まで練り直し、会合まで余分に開かねばならないこととなり、他に大変な迷惑を掛けてしまうことは、社会人であればみんな分かるはずです。子供の管理をよろしくお願いいたします。

▲当日、試合に出れるかどうかは・・、指導者にも(稽古の成果を求める)夢がありますから、うちの子は試合に出れなかったとか・・、そういうイヤミはあとでは絶対に言わないでくださいね。大人氣ない、つまり親が(自尊心が災いして)成長していないということです。
子供が団体戦メンバー入りめざして、心の葛藤をいくつも乗り越えて当日を迎えるのですから、子供たちは大きく成長しているのです。もしもそういう話が聞こえてきたならば親自身が恥ずかしい状態である、ということを最初に言っておきます。

▲小澤先生
7/27~29 に、神奈川の小澤師範が団体戦強化に来てくれます。この3日間は日中のみ稽古予定!
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by kancho39 | 2006-06-23 17:28 | ◆あごひげ吼える!

●吼える●鳥さんのように

■東洋の知恵
 社会生活の変化によって最近の人たちはおおらかな氣持ちを失っています。いつもイライラピリピリして生活している人が多いようです。喜怒哀楽などの感情を激発させることは「氣」という側面から見てもいいことではありません。「氣」はゆったりとおおらかな気持ちでいた方が活発に働いてくれるのです。「氣」が働くことによって血液循環も良くなり神経系やホルモンの働きも良くなります。その結果、新陳代謝も高まり、心身が調整されていくのです。
a0068770_761110.jpg いつも精神的に安定していない状態でいたのでは「氣」は十分に働かず心身の状態も良くなりません。確かに日常の生活には心を乱す出来事がたくさんあります。しかしそうした事にいちいち反応したのではきりがありません。最近の人は我慢の限界がひと昔前の人より低くなっているそうです。つまりすぐ切れてしまうのです。この傾向は年々高まっているようですから、わたしたちはまず耐えることを学ばなければいけないのですかね。ただ我慢しろと言ってもなかなか難しいことです。
 そこでお薦めするのは、以前にもご紹介したことのある客観的観照という方法です。目の前の出来事にすぐ過敏に反応してしまうというのは、人
がそれにあまりにも入り込んでしまうからです。つまり主観的でありすぎるためです。客観的観照というものの見方は空高く飛んでいる鳥が、はるか下の地上を眺めているように、自分や自分の周囲で起きていることを客観的に見ることです。何かトラブルが発生したら醒めている自分を天井位のところにおいて、怒って切れそうな自分や困っている自分を第三者的なところから眺めてみるのです。サイレントボスとも言うらしいのですが、こうして離れた所から観察するようなくせをつけると、かなり楽になるものです。目先のことに巻き込まれてしまうと、溺れかかった人のようにパニックに陥って冷静な判断力が失われます。そのため後で考えたら「何であんな馬鹿なことを」と思うような軽率な失敗をしてしまったりするのです。
 物事を客観的に捉え冷静に処理することができれば、だれでも今よりおおらかな氣持ちで生活できます。せっかくこの世に生まれてきたのですから、イライラピリピリして生活するより明るく楽しく過ごしていくほうがずっといいと思います。
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by kancho39 | 2006-06-08 07:06 | ◆あごひげ吼える!

●吼える● 他山の石

■水野只邦   2006/05/29

▲駐車場編
今時タイヤがハの字のグロリア、フルスモークの型落ちのベンツにクラウン、でっかくて変なエアロパーツのついたミニバン(当然リアウインドは潰して変な絵が描いてある)、やくざの代紋だか流派のロゴだか分からないステッカーを貼ったワゴン(つやのないホワイトやイエロー、ブルー) 。。これらが障害者専用駐車場や駐車禁止のエントランス前なんかに停まっていました。
こんな車を所有している父兄とは出来れば一生お付き合いしたくないものです。
それで障害者専用駐車場に駐車したエスティマからでっぷりと腹の出たジャージ姿のパンチパーマのオヤジと、いい歳してミニスカートをはいた化粧の濃いガリガリのオバサン、金髪でえりあしを長く伸ばして眉を細くした小学6年生くらいのガキが降りてきたので、そこは障害者専用だと注意致しますと「アァ~、ナンダテメェ、障害者がカラテするわけがねぇーだろうが!」
と凄んで行ってしまわれました。会場の係りの人に車を移動するよう館内放送をしてもらいましたが、その車は大会終了までそのままでした。

▲会場編
会場も会場で物凄い。『喧嘩上等』ってマジックで書いたメガホンを持ったお母さんが「殺せー!!」って叫びまくってたり、坊主頭にサングラス、派手なスーツに金のネックレス姿でもろヤクザみたいな人が試合コートの前で大声で携帯かけてます。。
ダメダコリャ と思わず唸りました。


■あごひげ   2006/05/29
※「他山之石、可以攻玉。」『他山の石』 自分の石を研(みが)くのに役に立つ他の山の石という意味。類似語に、反面教師。他人の悪い例を見て自分を正すという戒めの言葉。
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水野さん、ありがとうございます。まさに『人の振り見て我が振り直せ』であり、『対岸の火事』ではありませんね。空手から道を取り、単なる武技にしていけばそうなって当然です。以前の団体でもチンピラ風の若い指導者は『楽しければいいじゃないか・・』と公然と言っていました。その者のたのしさとは、あるときストレス発散であったり、あるときは子分を作る道具であったりするのでしょうね。それだったら楽しいばかりでしょうよきっと。でもね、今の世のこの乱れを少しでも良くなるようにどのスポーツ、武道でも、子供たちに関わって居るなら身を律し考えてもらいたいんですわナー、自分の態度行動がどれほど純な青少年の成長に良くも悪くも大きな影響を与えているかということを。。
 今から7~8年前、『目の上のたんこぶ』であろう修空館道場の子供たちに向けて他団体の親たちからブーイングが起きました。『修空館をぶっつぶせー』見たいな。その帰りに親たち数人に詰め寄られ、何の目的があってこういう大会に子供たちを出さなければならないのかと涙ながらに怒られました。以後その大会への参加は取りやめにしました。
a0068770_15222013.jpg 子供たちがライバル心を持って切磋琢磨するのはとてもいいことだし、指導者もあそこには負けるなとハッパを掛けることは必要なことではありますが、前述のような親たち、指導者のレベルに成り下がったときには、子供たちを取り巻く環境としては最悪と捉えて行きたいと考えます。大人のゴチャゴチャの延長で、あるときは大会審判や審査会審査員の言動に劣悪な影響が出ていたりしています。そういうのは、暴力に成りうる空手の世界ではあっては絶対にならないのです。
空手でもいろいろあります。暴力的な感覚の空手になればなるほどある一面ではそういう誤った氣概?を前面に押し出してくる親たちもいます。宮城県の中では全流派会派のスポ少大会にそういう類いの親たちがコートそばに降りてきてなんやかんや言っているのが多いですね。私は注意します、はっきりと。私は氣を出して言いますからみんな言うことを聞きますが、水野さんのような優しそう(紳士的?)な??(どこのどなたか分かりません、失礼)方にはきっと舐めてかかる言動に出るんでしょうね。コワい風貌にはしていても実は精神の弱い奴らのすることです。
道場に次々に見学に来る親たちでもいろんな親がいます。先日も両ポケットに手を突っ込んで玄関口でガムを噛みながらいつまでも眺めていた親子がおりました。私は近づいて一言、『氣が散るんですが!』と強めに言いました。すぐ帰っていきました。言わないと氣付かないというか自分では何もできない親が多くなっています。ファッションだか何か知らないが平氣で帽子をかぶったまま道場内に入ってくる親もいます。。。
 私の道場では、、、正座タイムは、『時間よ止まれ!』のようにして、しゃべることだけでなく動くこともピタリッとストップしてください、正座の時間は神聖な時間です!・・と伝えています。私は子供たちにだけでなく、いくら言っても分からないときは、たとえ外の親たちに向けても、窓を開けて『親うるさい!今なんの時間だとおもってんだー!!』と一喝します。そういう雷を親たちにも時折降ろすことで道場内は引き締まり、子供たちに礼儀作法などを指導するにはとても良い稽古環境になっています。親を叱り付けるのも私には必要な仕事です。
私たちの空手道では、この道に掛けて子供たちを育成していきたいと願っています。親たちの理解、協力も今はとてもいい状態です。

またお願いします。ありがとうございました。。
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by kancho39 | 2006-05-29 15:09 | ◆あごひげ吼える!

いいですね、雨ニモマケズ・・・

■あごひげ  06/01/31
明日からもう2月です。宮沢賢治のようには生きられないけど、、、1月も終わりもう正月氣分を一新して進まなければなりません。あるホームページから面白い記事を見つけました。


賢治七不思議(その7) (雨ニモマケズ)
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花巻の賢治記念館に、この草稿の写真があります。それを見たときから、いまだに不思議に思っていることがあります。

 それは、写真を見る限り、「ヒデリノトキハ」は、「ヒドリノトキハ」と読めるのです。つまり、「ひとりの時は」ということでしょう。これを、従来のように、「日照り」と読む理由は、次行の「寒さの夏」と対照させてよんでいるからではないでしょうか。(学校でもそいう風に教わったような記憶があります。)私も、写真を見るまでは思ってももみないことでしたが、いっぽう、「ひとりの時は」と読んだ時の賢治の寂しさのほうが、気候による寂しさよりも数段増すと思えるのです。あえて、「日照り」と読む理由はありませんので、そのまま、「ひとりの時」と読みたい、そう思います。

 そして、最近、発行された、「新校本」全集ではどうなっているか確認してみようと思ったら、どうでしょう。写真入りで、「ヒドリノトキハ」とされているではありませんか。しかもなんの説明もなく。

 私たちはたいていの人がいまだに、ヒデリノトキと思っているはずです。誰がどうやって、いや実は、と説明してくれるのでしょう。誰がいったい読み換えをしたのでしょう。

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Seiichi Nakahashi さんからのメール

「雨にもまけず・・・」の「ヒドリ」は、やっぱり「ヒドリ」で、日雇い労働者の意味だそうです。

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Takeuchi Yasuhiroさんからのメール

「ヒドリ」は日照りと日取りの二説があるようですが、前者が有力です。

あそこを「ひとり」と読むと、東や西や云々という文脈の中で不自然な気がします。自分とその外の世界(人を含めて)との関係の上での「詩」(ほんとうは詩ではないかもしれない)なわけですから。

 いきなり自分だけのことを一行だけ言い出したら変ではありませんか? 雨や風、寒さ、他人など、ぜんぶ自分を取り囲む「世界」です。そして日照り、なわけです。では。

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Ayako Motoishi さんからのメール(12/3)

私は賢治が大好きですが研究者でも、研究好きでもありません。 「ヒドリ」のことは聞いたことをそのまま憶えているなりにお知らせします。

10年位前の賢治祭で、賢治の農学校の教え子でいらして、賢治の脚本を演じる子供の演劇 活動をしておられた照井謹二郎さん(記憶だけで書いているので名前の字が間違ったら すみません。もう90何歳かになられます。賢治学会賞かイーハトーウ゛賞をもらわれた 方です。)が「日照り=日どり(日雇い)」説を言われたのが最初です。冷夏は農業にとって打撃ですが、 日照りは、あまり心配ないのだそうです。

山形県のある地方では「日照りに不作無し」 と言うことを昔からいうということを知っていた私は、なるほどなあ、と共感する思い がありました。照井さんのお話では、あの時代農業だけで食べられない貧しい農民がたくさんあり、農業以外に 日雇いで収入を得なければならない過酷な状態だったそうです。その日雇いのことか、日雇いで得る 現金のことかを「日取り」と花巻のあの辺りでは言ったとのことです。その説はその後岩手の地方紙などで 少々論争になりましたが、権威のある研究者の方たちの一致した意見として、「日照り」に落ち着いた経緯を覚えています。もっと論じられてもいいように思いましたが。その後さらにどうなったかは知りません。

「一人」という発想も面白いですね。

「日雇い」説に興味がおありだったら、花巻の照井さんはまだお元気だと思いますので、訊ねてみられたらいかがでしょう。賢治記念館でも分かると思います。

おせっかいまで。

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たんぱく質さんからのメール(2001.5)

私は賢治の教え子の孫(28歳)です。 花巻生まれの私としましては「ヒドリ」説の方に一票です。

夏の晴天は、今でも喜ばれるものです。 作物が大不作で涙を流すほどの日照りは、まだ経験したことがありません。 (多少困るようになったのは、温暖化が進んだ近年だけだと思います。)

祖父の影響もないとは言い切れませんが・・・。 因みに、祖父は、その詩をあれこれ綿密に推敲したとは思わない、とも言います。 生きていた宮澤賢治を知っていたからこそ言える言葉だと思います。 対句法だとかいう技法の類は、あまり考えていなかったのではないでしょうか。 あまり深く考えずに、人間としての宮澤賢治と見ても悪くは無いと思います。 (学会の先生方や研究なさっている方には申し訳ありませんが。)

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Tatsuo Sasayamaさんからのメール(2001.5)

諸説紛々、ますます興味深くなっているのですが、私も次のホームページに私のヒドリ説を載せておきましたので、ご連絡もうしあげます。でも、やっぱりヒデリでは無く、ヒドリであることは、間違いないとおもうのですが。


・・・・・・・・・・・

雨ニモマケズ
 
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松の林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ

西ニ疲レタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ

北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサニナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

賢治七不思議http://www.geocities.co.jp/SweetHome/4066/kenji/kenji0.htmlヒドリノトキ

■「雨ニモマケズ」とは
宮澤賢治(宮沢賢治)の詩。賢治の没後に弟の清六氏によって大トランクのポケットから発見された黒い表紙の手帳に書き付けられていた。1931年(昭和6年)11月3日の日付があり、これは東北砕石工場に技師として勤務し東京出張中に死病となる結核に倒れて帰郷後病床に伏していた時期にあたる。賢治作品で最も膾炙されているものの一つ。
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by kancho39 | 2006-01-31 14:53 | ◆あごひげ吼える!

●吼える● 悪にどう対応すべきか・・・  ※『笑子』子供の教育の部分だけ

■あごひげ 
 私は空手界は武道界であり、子供たちを相手にしている以上は人づくりという社会貢献の場でありたいと思っています、が、現実はこういうのをヤクザな世界?(というのかどうか分かりませんが・・)まるでチンピラ世界の心的抗争のようにも感じることもあります。。
 下は、心の友から
http://www.syuku.com/morikawa/morikawa_main.html#kyouiku
a0068770_7135479.gif 子供の教育7から。資料提供の東京・むさし先輩は、心の師です。何かあるとき力になってくれる文が必ず先輩の資料の中に出てきます。だから、ごんべい殿、、あごひげは負けません!!ありがとう。

■子供の教育
▲悪にいかに対応すべきか
1、「善」は、天地・自然の理法として、何事によらず絶えず己を省(カエリ)みることを本音とする。反省的であるのはよいのだけれど、凡人の常として、どうしても引っ込み思案になり、傍観的になりがちである。
2、これに対して「悪」は、何事によらず攻撃的で、人を責める。そうして相手が手強いほど、攻撃力が強くなる。したがって悪の人に与える刺激は、善のそれよりはるかに強い。
3、「悪」は必要の前にはよく団結する。だから一人でも「あいつは悪党だ」という。善人という語はあるけれど、善党という語はない。
4、善人は団結力がない上に、反省的で、引っ込み思案であるから、自分のほうが悪いのだと考える。これでははじめから勝負にならない。
5、「明哲保身」:善人でも本当によく出来た人は、むざむざ悪党の手に引っかかることが無くて、身を全うする。

▲人間の悪に対する五つの態度
1.弱肉強食
・泣き寝入り型
2.復讐型
・殴られたら殴り返す、蹴られたら蹴り返す。
・弱肉強食型の意気地のない態度に比べると、まだ元気がある
3.偽善型
・蹴られても蹴り返すことの出来ぬ人間が、己が良心の呵責やら、、負け惜しみ、さらには人前を恥じてこれを次ぐ名湾と繕(ツクロ)わんとするコンプレックスから、立派な理由をつけてその意気地なさをごまかそうとする。
・自分自身をごまかしているのだから、人を誤り、世を乱す。
4.宗教型
・俗世間の一切を超越して、すべてを平等に慈愛の眼で視るという態度。人間として最も尊い在り方であるが、人間の中の極めて少ない勝れた人たちにして初めて到達し得る境地であり、我々凡人には出来ない。
5.神武型
・人間の道を重んずるが故に、悪を憎んで断乎としてこれを封ずるという態度。
・人間を憎むのではなく、その人間の行う悪をにくむ。
・武士道の武は、その人間を憐んで、悪から解放してやるのである。だから武という字は戈(ホコ)を止(トド)む、と書く。そしてその人間が悪を報いて悔いて改心するときは、心からすべて容(ユル)してやる。これを尚武あるいは神武と言う。
・「武」というものが古来我々の悪に対する信念であって、その武がだんだん磨かれて「武士道」というものになった。

※「いま 魂の教育 著者」:石原慎太郎 発行:株光文社 より
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by kancho39 | 2006-01-14 07:23 | ◆あごひげ吼える!

今日はいい日だったなー・・

■ごんべい   06/01/13 HP掲示板書き込みより
がんばってますな 

あなたの敬愛する○先輩と、先日話をしましたよ。
○先輩は「かわいいあごひげ」から「立派な道場主」という尊敬とも思える、そして極自然な口ぶりでした。
○先輩は、あごひげには「気迫」があると言う。自分を大きく超えた立派な道場主だと言う。「高く」「大きく」。
誰に褒められるより、誰に認めて貰うより心強いじゃないですか。
陰口も言われるでしょう・・っが、影であなたを認める人もいるのですよ。
あなたの師は面と向かってあなたにこんな言葉を口にする事はないでしょうから、少しだけお伝えしました。特別に。


まけんなよ!あごひげ!!


▲矢本道場 あるママ 06/01/13
館長、ビシバシやって! 

 a0068770_23373374.jpg色んな考えの人達がいるのにはびっくりしたりガッカリしたりする事がありますよね…。でも館長の『氣合い・精神』に私たち親子もついて行けるのです!子供達もビシバシやってあげて下さい!子供達も館長を信頼しているようですから!! 私は息子が館長のような大人になってほしいと思ってます!まだまだ『弱っちぃ』のでビシバシお願いします!館長の愛のムチは子供達に真っすぐに届いてるはずです!!
  疲れた時は《リフレッシュしながら》これからも『氣合いだぁぁ!』お願いしますネ!

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by kancho39 | 2006-01-13 23:12 | ◆あごひげ吼える!

●吼える2● 細木数ちゃん へ 返信 Ⅱ

■あごひげ館長   06/01/04
細木数ちゃんにお答えします。 ※ホームページ掲示板に書き込み 

▲数ちゃん >占いとか予言なんて全く信じてなくて 今でもそうです。少年Aの親は事件を起こすまで我が子の異変に何故気付かなかったのか!

 信じすぎてもダメ。結果を決め付けて他力本願になり自分で努力しなくなります。実は私も苦しいとき数年前に『祈祷師(おがみやさん)』を何人か掛け持ちで回ったことがあるけれど大体はこちらの様子を見ていい加減だった・・と感じた。結論としてご祈祷、御祓いはしてもらうけど決めるのは自分であり考えるのも進むのも自分、頼ることはしない、参考にはするということです。一歩を踏み出す決断力、勇氣がなければ何にもならない。それでいて私は持ち物の色や石ブレスにこだわったり、姓名判断、方角にこだわったりして自分で運を引き寄せたいという願いは強いが・・。最後は自分自身だということですね。
 忘れた頃にではなく、忘れられないうちにまたすぐ別の事件が起きる、という少年犯罪について。
 a0068770_9243637.gifやはり中学生あたりが一番難しい。学校が悪い、家庭が悪い、といろいろと一億総評論家にはなるけれど、まずは最近の中学生の特徴を知らねばなるまい。特にこの十年というもの、子供たちを取り巻く環境が完全に変わり、子供たちそのものの容姿、持ち物も変わっているね。外見が変われば中身も当然変わります。外見を見ると・・、すぐ流行に乗る。親も放任し、心まで変わっていく第一歩と見抜けないのかと思います。例えば、子供たちが、自分がやりたいことをやっているときに親や先生から何か言われて無理にストップさせられたとき、すぐキレる、そして大人のほうでは妥協し引っ込める・・。こういう繰り返しをしていたら子供たちはこれでいいんだということで徐々にエスカレートし、もっと過激に、やりたいことを何でもやってしまう、限界を超えてしまうこともアリでしょうね。。。
 今年は戌(イヌ)年ですが、犬だって(本を見ると)『反抗期には厳しく叱れ!』と書いてあります。人間も同じです。たとえ少々理不尽なことでも、大事なことは『我慢』のできる人間を作っていくということであって大人の権限でそういう環境を作っていくべきです。そのために『躾』、『子育て』、『修業』というような言葉があり、世の親たちが修空館に期待し寄越してくれている部分?でもあると私は解したいと思っていますが。
 もう一つ、大きなことがあります。それは、この十年と言うもの大人の性質、社会構造がまるで変わったということです。それまでは少なくとも表面的には部分的な現象であったのが、利益獲得のための手段を選ばない不正行為が企業や日本社会全体に蔓延してきたことを挙げることができるのではないでしょうか。年末になり世間を騒がせた耐震構造偽造問題がその好例でしょう。自分さえ生き延びれば誰にどの程度の被害が起きようとも予想すらできない、という、限界を超えた社会犯罪であると思います。ところが、こういうことは、子供たちを取り巻く環境において、我々空手界にだってたくさん起きている現象ではないかと思えるのです。。。
 まずは私たち大人から、自分を律し、本来の人と人とのつながりを基調として進まねばなりませんね。新年、修空館道場もJEK日本教育空手協会として氣構えを作り前進しようと思います。細木数ちゃん様がもしも道場の保護者でしたら、共に、芯のある大人の第一歩を鏡開きにて力強く踏み出しましょう、よろしくお願いいたします。
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by kancho39 | 2006-01-05 15:05 | ◆あごひげ吼える!

●吼える1● 細木数ちゃん へ 返信 Ⅰ

■あごひげ館長  06/01/04
  
▲数ちゃん >細木先生の日本の将来の予言は、30年後は皆 難民になってる!との事。説得力があります、私は支持します! が!館長はどう思いますか?

  a0068770_919502.gif細木先生の六星占術は、私は、まだだーれも信じてない二十年以上も前から参考にしています。日本の将来、、そうね、着実に破滅の道を歩んでいますね・・。大きな戦争とか天変地異がなくとも三十年したら地球そのものもだいぶぼろぼろになって息苦しいだろうし、人心はというと、、、。大体やね、今の小学生中学生が大人になって社会を牛耳る時代なんだよ。それ無理でしょう。何が無理かって。そう、今この大事な時期に社会全体としての子供たちの教育がなっていないということです。国づくりとはまず人づくりでしょう。でもみんな、自分勝手な夢や目標ばかりを描いて実はもっともっと大事なことを忘れているのではと思います。空手だってそうです。勝ち負けにばっかり拘り、もっと大事な人間教育をこの道で、社会全体、空手界全体でどうしていくべきかという研究が置き去りにされているのです。礼節、先輩後輩関係、代々受け継がれた基本技などをおろそかにする傾向に、私は憤りますね。親たちでさえ目先の欲にばかり目が行って、ちょっと負け始めたり、子供がどうのこうの言うようになると直ぐ振り回される、何も言えない・・、で結局、退会されては何にもならねー、と、道場でも昔のようには厳しくできないという、子供たちを取り巻く環境の変化があります。。。
 細木先生はすごいと思います、説得力あります。。けれどどんな人だって神様でないから、どんなに優秀でも70点でしかありませんよ。たかが統計学されど統計学。細木先生はとても優秀ですが時折、差別とも取れるおごりも見え隠れします。また、決め付け型ですが、三十年後のことは結果が出てみないと誰も確かなことは言えません。予言ではなくて警告であり、貴重なアドバイスです。占いを信ずる、それはそれでいいのですが悪いことをそのまま信ずるということは、例えば病院に行ってお年寄りが『おじいちゃん年だからねー』と言われてそのまま肩をがっくり下げて帰ってきたのと同じです。年相応に見方考え方があるはず。適当に病名を付けられた時点で病人になってしまってはいけません。普段の生活や姿勢などをまず反省です。細木先生の占いでは私は昨年乱氣でした。まさに氣が乱れて乱されて防戦一方の年でした。しかし辛抱の年と決めていたのであと何ヶ月かで未来が変わると信じてできることをコツコツ前向きにやってきたのでした。
 今年からいい年になります。古い人たちとの付き合いを大事にし地固めしていく年になります。小さいときから育てた何名かが、道場に帰ってきます。昔お世話になった先生、先輩達との付き合いを大事にしていかねばなりません。今日はまた三十一年ぶりで同級生が尋ねてきます。再会をたのしみに、そしてこれら今まで耐えて我慢してきたエネルギーを臍下丹田で充満させ湧き出るものを少しづつ放出していきたいと思います。 ということで、細木先生はあなたに何を言いたいのかをよく掴むべきです。。
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by kancho39 | 2006-01-05 15:05 | ◆あごひげ吼える!