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あごひげ館長の飛び蹴り!       コメント自由に書き込めますよ!     右下 Commentsから どうぞ!
by kancho39
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カテゴリ:◆武道と空手( 50 )

●武道と● 氣力充実し当てていけ!

■あごひげ

本氣の氣を磨く。
a0068770_15102390.jpg同レベル、ライバル、先輩には氣合い入れて当てていけ!と怒鳴りつけます。すると当たります。当たると・・同レベル、ライバルだったら益々加熱して真剣勝負で稽古するようになります。こういう稽古こそ必要なのではないでしょうか。最初から当てない、絶対に当ててはならない、と決めた基本一本組手なんて、ダンスと同じでしょう。空手って何を学ぶのでしょうか。私は、対人との交わりそして心の葛藤を乗り越えて、自己の持つ氣を磨くことだと思いますよ。氣とは、鍛えて錬ってやっとできる充満したエネルギー、根源の力、底力、潜在エネルギーだと思います。今の子供達、物資がありふれすぎて甘えっ子が多いでしょ。そんな輩が自分の思うように行かないと非行に走ったり、徒党を組んで悪党となったりして悪さをするんです・・。私は、真剣に空手を学んで他人の痛みを知ることで思いやりを持てる人間を作っていくことこそ、私たち空手指導者の大切な使命だと思うのです。私がママ空と一本組手するとき、(人中狙って)少しづつ、スピードを上げていきます。(触れる程度に)当てるときは上段であれば喉元を狙います。 (お母さんたちは顔が命ですからね・・)
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by kancho39 | 2005-12-04 10:00 | ◆武道と空手

●武道と● 反省に氣を加える

■あごひげ

反省に『氣』を加える。
a0068770_15124993.gif私たちは勝つことよりも一試合一試合に自己を強化していくことを念頭におきたいものです。試合に向かって稽古します。勝ちたいという意欲を持ってどうしたら勝てるようになれるか日々努力します。さあ試合になりました。でもやはり勝てませんでした・・。勝者は一人でしかありません。たいていはどこかで負けます。なぜ負けたのか・・を反省します。なぜ勝てたのかももちろん省みること必要です。そのとき、一つ、反省に 『氣』 を加えたいものです。稽古段階でどのように相手に氣を伝えていくかの稽古をしたいものです。試合でも同じです。そういう積み重ねの中でこそ真に、覇氣、勇氣のあるたくましい人格ができていくのではないでしょうか。本当に強くなったものが、弱きものに思いやりを持って社会をリードしていける人間に成長して行ってほしいと願っています。
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by kancho39 | 2005-12-04 09:56 | ◆武道と空手

●武道と● 船越先生は偉大です。

■あごひげ - 2005/11/30
船越先生の鉄騎を見て

大変貴重な映像ですね、感激いたしました。1924年と言えば、船越先生は1868年生まれなので56歳のときのものです。船越先生は1922年に文部省主催の古武道第一回体育展覧会において本土初公開の『唐手』演武をしています。その後講道館や学校、(今で言う)体協関係、寺院などからも強くのぞまれて各所で唐手を紹介して歩きました。1924年には鎌倉の円覚寺管長の指導もあり、手→唐手であったのを、
①徒手空拳で身を護る、
②般若心経の色即是空空即是色から一字を取り、
それまで唐手として紹介していたものを『空手』に改称しました。
この時点で、沖縄の武術(唐手術)から武道精神を主とした日本の武道へと空手道はその精神も大きく変化していったようです。沖縄に帰る予定がそのまま本土滞在となり、各大学や警視庁などでも指導されています。1957年に亡くなるまで空手道の普及と発展に尽力された偉大な先生で『日本空手道の父』と言われています。形では鉄騎が得意?だったようでよく演武されていたとのこと。普段でも騎馬立ち、後屈立ちなどを意識していたそうで、あるとき数人で田んぼの細いあぜ道を歩いていたときに足を滑らせて転びそうになったが、船越先生は即座に後屈たちをビシって決めて何事もなかったようにまた歩き始めた・・と、後ろを歩いていた杉浦先生(JKA首席師範)から直接聞きました。『空手の修業は一生である』、『凡ゆるものを空手化せよ、そこに妙味あり』などを残した船越先生ならではの逸話です。
さて、ビデオですが、私は感動感激いたしました。まず現代の空手そのままであることにです。船越先生から中山先生の時代になりずいぶんと変革したのではと想像していたのでむしろ驚いています。競技空手となった現在の形とはもちろん違いますね。競技面から言えば、腰の浮き沈み、上半身のブレ、また騎馬立ちは少しつま先、そして移動時に膝が開いて金的を守っていないなど減点の対象となるでしょう。でもそんな見方は実は恥ずかしい行為であり、これぞ本当の空手だよ、形をこうして実践で使えるように鍛錬するものなんだよ、と(競技のみに集中する私たちに戒めとして)言って居るようなそんな激しい感動を覚えました私は・・。今から八十年以上も前のあの時代にですよ、すごいです。一つ一つを力強くていねいに演武されています。形に、修業、鍛錬の氣(心)が入っています。初段での波返しはあそこまで足を上げなければ相手の蹴りを防ぐことは出来ない、現代の空手競技において完全に金的攻撃を波返しで防いでいる選手はいるのかなあとの疑問(私は反省)さえ湧きます。テレビもビデオもない、他の格闘技と言えば柔道、柔術くらいしか?見たことがなかった時代においてあの(格闘をイメージして一人での)演武は初めて唐手を見る人たちの度肝を抜くに充分の迫力ある演武であったことでしょう。できれば、演武とともに行っていた『講演』の部分、講演録を探したいですね。。。
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by kancho39 | 2005-12-04 00:28 | ◆武道と空手

●氣と空手● 武道とスポーツ

■2004/3/14  むさし先輩

おのれを襲ってくる恐ろしい敵と立ち向かう空手
マットの上でポイントを争う空手
その2つを結びつけたいのが空手関係者の願いである。
しかしポイントで勝負を決める以上、
技は単にゲーム上の技術となり、するどさ、切れ味、強さが無くなる。
空手がスポーツに変身していこうとすれば、昔の武道の精神はどこかへ行ってしまう。
これに対し明快に答えてくれる人はいないという。
しかし道場という道を教える場においては出来るのではないだろうか・・・・
修空館道場はすでにやっている。
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by kancho39 | 2005-12-03 21:36 | ◆武道と空手

●武道と● 「守」「破」「離」

■東京、むさし先輩。

「守」「破」「離」とはその道を究めるための成長段階をあらわす教えである。

▲「守」
指導者からの教えを忠実に学び(守り)、型や作法、知識の基本を習得する段階。
出来るだけ多くの話を聞き、指導者の行動を見習って、疑問をもたず指導者の指導の通りの行動をする。
▲「破」
経験と鍛錬を重ね、指導者の教えを土台として自分なりの工夫を加え、指導者の教えになかった方法を試していく段階。
▲「離」
指導者のもとから離れ、これまで教わった型や知識にいっさいとらわれることなく自分自身で学んだ内容を発展させていく。

茶道、剣道、空手道、どの道にも型(基本)というものがある。道の第一歩は繰り返し繰り返し、型の稽古をしなければならない。型というものは昔から受け継がれてきているが、少しずつ工夫が加わり、時代と共に良いものだけが残されてきている。受け継いだものを守り、現代に合わなくなったものを捨て去り、新しく独自の工夫を加え、それを繰り返す。そして今までの型を超える、独自の世界を創り出していく。

この「守」「破」「離」の成長3段階は、サラリーマンの道においても同じです。
「守」:入社直後は上司、先輩に仕事のいろはを教えてもらい、会社の風土に馴染んでいく。
「破」:仕事や環境にある程度慣れたころから、自分なりひ工夫し改善、改革をしその仕事に新風を吹き込む。
「離」:与えられた仕事から飛び出し、自分自身で最初から仕事を作り出していく。

日本空手協会における型は基本、形、組手、道場訓があるのだと思います。日本空手協会(中山空手)の基本、形、組手における型(指導法)はベスト空手11巻に全てがまとめてあります。守破離の世界を脱した中山先生の作品は何回読んでもすごい本です。
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by kancho39 | 2005-12-03 21:05 | ◆武道と空手

●武道と● 万が一の実践とは。

■2005/11  あごひげ

空手は沖縄の禁武政策から発展した経緯があり元々我が身を守る武術であったことはもちろんです。ですが、ひとつ現代において忘れてはならないこと、それは沖縄の空手が本土に紹介されるにあたり、『沖縄の唐手から本土の空手』に変わったようにその目的自体も変化しているということです。危険な業だからこそ自分を戒める、自分を制することの出来る人格を同時に磨け、ということになります。
開祖、船越先生は『空手に先手なし』ほか松涛二十訓を私たちに残しました。言わば、現代の競技スポーツ空手の先手必勝とは考えが180度違っているのです。競技では如何にして相手よりも早く突き蹴りを出すかですが、実践の場合は、今やったら完全に正当防衛が成り立つという時点でしか使えないと自分を戒めておく必要もあります。現代ではすぐ裁判になりしかも自分では正当と思っていたことでも相手の弁護士次第で自分が犯罪者にもなりうる、こともあるわけです。
『いかなるときも空手を使ってはならない』、これはギリギリの段階まで待てという意味です。空手の稽古を積む目的が100人が全員我が身を守るためということで強さのみを習得しようとしているわけではありません。年をとってくると周りの人たちの死によく出くわします。親戚のおじさん、知り合い、お世話になった人など、年齢が高くなるに連れて大事な人が他界したりします。でもそういう中でも、殺された、と言う人は私の周りではいません。今後はどうか分かりませんが少なくとも、万が一というのは極端に少ない確率でしかないわけで、むしろ死の確立が高いのは病氣や老齢化、その次の交通事故などの不慮の事故です。まだまだ日本は平和であり、自分から危険な場所に近づかない、あるいはその臭いを察知する氣構え、心構えをもって居るならば、少なくとも殺される確立はもっともっと低くできるわけです。
私が、『我が身を守る』とか、『護身』を考えるときは、一応指導者の立場として、元々ひ弱な女性や、最初から体力がない、腕がかぼそいなどの人が護身として捉える場合のことです。理想は自分が強くなり、いつ如何なるときでも闘える力がある、ということでしょうが、みんながみんな、空手をやって、自分よりもデカイ暴漢に立ち向かえるような空手家に上達するとも思えません。空手をやる目的や、自分の置かれた環境がみな違うのですから、最初から『万が一』のときにと脅しても、そういう場面に何度か遭遇しない限りは本氣で取り組むこともないでしょう。もともと非力な人間が、大男や数人に取り囲まれたときどうするか・・・。それは、第一にまずそういう場面を作らないことであり、第二に、そういう場面では大声を出せるようにしておくということ、第三に一撃を食らわせて如何に素早く逃げるか、そしてそれでもつかまった場合においてのみ、『万が一』の手立てということになります。
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by kancho39 | 2005-11-26 22:40 | ◆武道と空手

●武道と● 『実践』の捉え方・・

■2005/11  あごひげ

 世の中はだいぶ変わってきました。人を傷つければすぐ訴えられ犯罪です。まして空手をやって居るものは、まずはそういうところに近づかないこと、危険な匂いを察知すること、がもっと必要なことです。さらに、そういう場合になっても相手を傷付けずにまずは相手に納得させる度量器量というのも、実践の強さ以上に磨いておきたいものです。血氣の勇に はやりすぐにでも相手を睨みつけ手を出す、、、そういうのは武道をたしなむ、武人とは言えないと思います。まして私たちは指導者ですからただ単に殴るのが強い人間を育てていたのではそれは社会悪でしかありません。私は、大勢の他人、特に青少年に与える影響を考えたとき、テレビ、雑誌、そして私たち道場経営者やスポ少指導者など、青少年を取り巻く環境のすべての人たちは、自己満足の世界の追求とともに社会貢献していくというスタンスを持たねばならないと思っています。。。
 a0068770_115494.jpg私は、道場の子供たちには、「学校でもやられたらすぐやり返せ」とは指導していません。絶対に空手を使ってはならないと指導しています。ただし、イジメがひどい場合、我慢できない場合は先生に言うこと、先生に、「僕はこうされていて中々相手がやめてくれないから空手を使っていいか」と聞きなさい、と指導しています。それでも解決できない場合は館長(私)に言いなさい、いつでも館長は学校に行く!と言っています。このように指導しているなかでも、三十数年の道場経営の中でイジメ問題は十数回ありましたが、(ヤクザの家庭も含めて)いずれも相手方の家に行き状況把握をする過程においてはもうイジメはなくなっていました。『あごひげ』効果と言えるでしょうか、指導者の私はそういう場合、もともと腕と言葉のやり取りに自信があるのでコワいものはありませんから・・。実践にならない方法を取るのが最良の方法ではありますが、世の中、こうも乱れてくると明日に我が身にわが家族に何が起こるかは誰も想像できない時代ではあります・・。
 私は、仙台G先輩から言われた『小野寺!空手は社会貢献だぞ!』の言葉を忘れないようにしたいです。立ち上げたNPO法人日本教育空手協会を頑張って広げ、複雑怪奇な世の中を生きていく青少年に出来るだけ正しい影響を与えていきたいと強く願っています。
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by kancho39 | 2005-11-23 09:35 | ◆武道と空手

●武道と● 人生の基本を学ぶ。

■あごひげ

この武道性を学ぶには基本一本組手でしっかりと相手を突く、相手もしっかりと受けると言うのが大事です。武道空手は基本の空手であり、基本を学ぶということは一方、人生の基本を学ぶということにつながるということです。人間社会と申します。そこには社会のルールと言って、礼儀や道徳教育、儒教、仏教での教えが、私たち日本人の文化として伝わって、それらを伝えるための一つの手段として、『道』のつく茶道、華道、合気道、柔道、剣道などがありますね。ですから、空手道も、人としての道を学ぶ一つの手段と捉えることにより、単なるスポーツ教育ではない武道教育につながるべく指導方法の研究というのが大事になると思うのです。
私たちの道場では、今すぐテクニックが身に付きメンホー空手に通用する空手使いを養成するのではなく、高校、大学、社会人と進むにつれて強くなる空手、つまり、小さいときにはしっかり基本を徹底して体に覚えこませておくことが大事ではないかと思います。立ち足、姿勢、そして移動、回転など、すべてにおいて技の点検をし、技術を磨くこと、技術を磨きながら心術につながる修養を進めるということです。空手がスポーツではなくより武道であることを主張したいのはこの辺のところです。
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by kancho39 | 2005-11-18 13:22 | ◆武道と空手

●武道と● 活殺自在が空手道の本来

■あごひげ

a0068770_15154448.jpg空手は武道、武術、格闘技、いづれの性格も合わせ持っています。ルールの上に成り立って居るわけだから、活殺自在であるはずの空手道を、『医』の分野からも技術・心術と合わせて追求することはとても重要なことです。頭部への打撃目的の稽古をしつつも、一方、その危険性についての勉強も絶対に必要です。よく、『空手を習うと当てられた痛みが分かるから他人にしないようになる・・』と、親たちもそのように理解してくれている部分はありますよね。私たち指導者はさらに、その痛み以上に危険性をも知っておくべきです。よく一般の人には『当てる空手ですか?』と単純に聞かれます。私はハイ、と返答します。中段よりも上段を狙うことが特に多いですから。。一方、子供を連れて見学に来る親御さんには『寸前に目標をおいて稽古しますから安全です』と答えます。。JKA全国合宿のときに大坂先生が、『人体への影響を忘れてはならない・・。一生涯に影響を及ぼすようなことがあったときにそのご家族に対して謝りようがない・・』と、稽古の合間におっしゃっていたのを思い出します。強い空手、極めの空手を進めている空手であるならばこそ、危険性については特に過敏に受け取って行かなければならないのは当然のことです。すると、私が書いてきた、頭蓋骨への影響、人体への影響については、武術性、格闘技性の追求をする一方で指導者みんなが本来責任を持って取り組まなければならないことではあるまいかと考えます。
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by kancho39 | 2005-11-18 12:49 | ◆武道と空手

●武道と● 武道空手とは

■東京、瀬戸先生より
 ※平成4年11月、掲示板への書き込みから。

 a0068770_13351129.jpg私は空手が残された最後の武道だと確信しています。特に空手協会の空手は武道空手でなければいけないと思っています。何故、空手が残された最後の武道だというと、空手協会の試合には恐怖心が伴うからです。恐怖心の無い試合はスポーツ、あるいはゲームです。協会の試合にはルールが有っても、止めてくれる保証は何もありません。相手は止めるつもりが無いかも知れないのです。飛び込んだ瞬間に相手に殴られて、前歯が折れ、鼻が曲がり、ほお骨が陥没するかも知れません。現に協会の試合では、大会中何人かの選手は偶然あるいは故意に当てられて倒れるシーンを目にします。その恐怖心をうち払い「無」になって飛び込んで行く、ここに強い精神力が生まれてきます。メンホーなどの防具に身を包んで試合をしたのでは真の強さを養うことは出来ません。恐怖心を乗り越え自分を棄てきった時、初めて本当の意味での強い人間が生まれます。武道、武士道の有るべき姿、目的は私心、私欲を棄てきり、迷いを無くし人間としての正しい道をいかに歩むかです。それには如何に己を棄てきることが出来るかが大切です。武道とスポーツの違いは、常に生命の危険にさらされているかどうかによって決まります。しかし、それだけでは駄目です。日本の素晴らしい精神文化を受け継ぎ、先人が求めた人としての道を自分のものとする為に修行をし肉体的にも精神的にも自分を鍛える。そういった心掛けがなければだめです。スポーツのようにく勝負に対しての勝ち負けだけがが最終目的ではなく技や技術を習得する過程において人間として如何に磨くか。日本文化の美意識を身に付けるか、ここが武道とスポーツとの分かれ道ではないかと思います。
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by kancho39 | 2005-11-18 12:48 | ◆武道と空手