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by kancho39
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カテゴリ:◆武道と空手( 50 )

●武道と1● カラテが社会でどのように捉えられているか、

■某資料より
カ・ラ・テ 国語辞典編  99/06/17

▲(「広辞苑」より)
a0068770_19175579.jpg◎から‐て【空手】
→手に何物も持たないこと。すで。てぶら。
◎から‐て【空手・唐手】
→中国から沖縄へ伝来して発達した拳法。武器を持たず、手足による突き・蹴り・受けの三方法を基本とする。空手術。


▲(「現代国語辞典」より)
◎からて【空手】《国》
→〈名〉手に何も持たないこと。[類]手ぶら・素手(スデ)・徒手(トシュ)
◎からて【空手・唐手】《国》
→〈名〉沖縄(オキナワ)から伝わった、手足を使ってする武術(ブジュツ)(・護身術(室酌湿爵湿酌遮篠))。」


▲(「岩波国語辞典」より)
◎からて【空手】
→(1) 手に何も持たないこと。素手(すで)。手ぶら。(2) 沖縄から伝わった一種の拳法(けんぽう)。突き・受け・蹴(け)りの三方法を基本とする。_<2>は「唐手」とも書く。
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by kancho39 | 2005-12-31 19:11 | ◆武道と空手

●武道と2● カラテとは? ~空手 カラテ

■日本大百科全書より  99/06/17

 徒手空拳(クウケン)をもって身体の使用可能なあらゆる部位、とくに手脚を組織的に鍛練し、その一突一蹴(ヒトツキヒトケリ)で不時の敵を倒しうるように修練された護身術。勝敗を究極の目的とするものではなく、有形無形の試練を乗り越え鍛練を基礎とし、その汗のなかから人間完成への努力を図って、自己の可能性と礼とを深く窮めていく武道である。四肢を合理的に動かし、しかも平常あまり使用することのない筋肉をも十分に使用するので、身体の発達が一方に偏する心配のない優れた体育でもある。生理的には、正しい呼吸法によって精神を統一し、健康を生み出し増進する体術でもある。

▲〔発生と歴史〕
 空手は元来「唐手」と書かれ、沖縄において発達完成された護身術であるが、その発生の過程で中国拳法(ケンポウ)の影響を多分に受けている。古くは単に「手」とも称し、その発生の事情のゆえに秘法視され、教える者も学ぶ者も家族にすらわからないようにひそかに習練が行われたとされる。これは明治30年代、首里師範学校で公開されるまで続くが、この秘密性が唐手の性格に深い影響を及ぼしていることは見逃せない。それとともに、その威力のあまりの大きさに、霊妙唐手とか神秘唐手とかうたわれたのである。
 この唐手がいつの時代から沖縄に存在したのか、確かな文献が残されていないので口伝によるしかないが、1430年ごろ長年の戦乱時代をよく統一しえた中山の尚巴志(シヨウハシ)王の極端な禁武政策と、1609年(慶長14)沖縄を制圧した薩摩(サツマ)藩による武器禁止令により、武器をもつ敵からわが身を護(マモ)る唯一の手段は徒手による護身術しかなくなったとされる。これらの事情を契機として、14世紀ごろ沖縄に大量に流入した中国の文物の一つとしての拳法が、秘密性の強い唐手へと高度に発達していったのである。
 沖縄の手(テ)は、那覇手(ナハテ)、首里手(シユリテ)、泊手(トマリテ)など沖縄の地名によって流派が分かれる。東恩納寛量(ヒガシオンナカンリヨウ)に代表される那覇手は昭霊流とも称し、体格の大きな人に向く重厚なもので、中国拳法の南拳に似ている。糸洲安恒(イトスアンコウ)が集大成した首里手は昭林流(小林流)ともよばれ、軽快な北拳に似る。これらの基となる中国拳法は、5000年の歴史をもつとされるインドのヨーガ、中国のカンフー(医療体術)、三国時代の外科医華佗(カダ)が考案したという五禽(ゴキン)の術、達磨(ダルマ)大師が身体鍛練のため少林寺(河南省)において弟子の僧たちに授けた易筋経(エキキンキヨウ)が、それぞれ大きく影響しているとされる。

▲〔日本本土における発達〕
 a0068770_1935147.jpg日本本土における空手の黎明(レイメイ)は1922年(大正11)、当時沖縄尚武会会長であった船越義珍(フナコシギチン)が文部省に招聘(シヨウヘイ)されて上京、体育展覧会に沖縄の特技「唐手」を演武、紹介したときに始まる。その後の唐手(空手)の興隆は、彼の人格的魅力とその指導力によるところが大きく、学生を中心に修業者が増え続け、24年から35年(昭和10)までの勃興(ボツコウ)期には、慶大、東大、第一高等学校、拓殖大、早大、商科大(現一橋大)、法大など相次いで空手部が創設された。これに刺激を受けた関西でも、29年ごろ、麻文仁賢和(マブニケンワ)(糸東(シトウ)流創始者)、宮城長順(剛柔(ゴウジユウ)流創始者)、本部(モトブ)朝基、屋比久孟伝(ヤビクモウデン)などの指導者が渡来し、それを機に立命館大、関西大などに部活動が始まった。この大学生間での高揚がその後の空手道に幸いした。つまり、大学生の知性と日本武道の伝統と感覚が、霊妙神秘な唐手術を科学性のある近代空手道へと育成していった。これらは、31年、船越による「唐手」から「空手道」への改称へとつながる。「空」の字は禅の理念に基づき、とくに「道」を加えたのは術偏重を戒め、武道としての精神面と倫理性を強調する趣意によるとされている。なお空手という字句は、1905年(明治38)花城(ハナグスク)長茂が著した『空手組手編』が文献上の初出とされる。
 1942年(昭和17)から43年ごろは、全国の主要大学の空手部を中心に第一次最盛期を迎えた。終戦後一時停頓(テイトン)したが、46年(昭和21)大浜信泉(ノブモト)早大教授がGHQ(連合国最高司令部)、文部省と交渉。古来よりの護身の面のほかに、競技、つまり他のスポーツと同様にルールを設けて試合のできるような近代スポーツ空手道が研究されて再開を認められ空手道は「君子の武道」として、新たな歩みを始めた。47年には早大の道場において初めて各流合同の演武会が行われ、49年船越門下によって日本空手協会が結成される。翌年には全日本学生空手道連盟が結成、ふたたび学生や各流派を中心に隆盛期を迎えた。また、空手道の新しい1分野を開くものとして、57年第1回全日本学生空手道選手権大会が開催され、同年日本空手協会も第1回全国空手選手権大会を東京体育館にて公開した。
 その後、各流派も一定のルールの基に全国大会を開催、1964年、流派を越えて全日本空手道連盟が結成された(初代会長大浜信泉)。
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by kancho39 | 2005-12-31 19:04 | ◆武道と空手

●武道と● 護身術について

■タイ王国 今野  2004/07/13
館長から問合せのありました護身術の件

 押忍、大変御無沙汰致しております。お変わりございませんでしょうか。自分は二ヶ月前に一時帰国しましたが、今はまたタイにおります。毎年4月、こちらで教えている学校の夏休みに帰るのが習慣となってしまいました。前回も館長に御挨拶に伺おうとは思いつつ、日中は家の仕事で時間が取れず、夜と週末も塩釜に合氣道の稽古に通い、お訪ねすることができませんでした。申し訳ございませんでした。
館長より問合せのありました護身術について。
 a0068770_1872250.gif海外にいて、修空館で覚えた空手のお陰で助けられた場面も多く(実際に格闘したという意味ではありませんが)、館長にも何らかの形で恩返しはさせていただきたいと思っておりました。こちらタイでも護身術に対する関心は高まっており、自分も日曜日に個人的にアパートで稽古会を開いたりしております。もし桃生町にいれば、駆けつけたいところなのですが残念です。護身術というのは即ち、掴まれた場合に相手を無力化し且つ傷つけない対処法などのことと思いますが、これは警察官ですら難しいことであり、ましてや素人ですと、そんな達人みたいな技はすぐには身につかないのが実際かと思われます。助かりたいならば相手をある程度傷つける覚悟は必要でしょう。それには合氣道当身は必須ですし、それで相手が怯んだ隙に逃げられれば立派な護身です。館長が教えられるのであれば空手こそ最良の護身術になるかと思います。もともと空手術=護身の技であったはずですから。
 次回帰省した際は微力ながら必ずお手伝いさせていただきます。もちろんメールでやりとりできる範囲であればお答えできることもあるかと思います。(テレビ電話があったら便利なのですけどね!)自分は週に2,3回職場のコンピューターでメールをチェックしますので、またいつでもメールをいただきたいと思います。館長から御連絡をいただけますと、自分も大変励みになります。

押忍。
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by kancho39 | 2005-12-31 17:45 | ◆武道と空手

男一途

作詞  高木正朝
作曲  アイ・ジョージ

a0068770_1321034.jpg1. 突きと蹴りとは空手の技よ
   妙は虚実の間にあり
   五条の訓えは道一筋に
   励む男児の心意気

2. 熱と意気地と力と技に
   かけた命の空手道
   きりり締め込むこの黒帯は
   汗と涙の結晶だ

3. 鍛え鍛えたこの鉄腕も
   由来空手に先手なし
   高く掲げた理想の道に
   男一途の火が燃える

4. みよや遥かに秀麗富士を
   仰ぐ瞳に虹のはし
   燃る希望に拳をあげりゃ
   明日は晴かよ茜雲
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by kancho39 | 2005-12-29 17:24 | ◆武道と空手

●武道と● 松涛二十訓の解説

松涛二十訓  松涛会資料よりお借りします。

a0068770_10164854.jpg一.空手道は礼に始まり礼に終ることを忘るな
一.空手に先手なし
一.空手は義のたすけ
一.先づ自己を知れ而して他を知れ
一.技術より心術
一.心は放たん事を要す
一.禍は懈怠に生ず
一.道場のみの空手と思ふな
一.空手の修業は一生である
一.凡ゆるものを空手化せよ其処に妙味あり
一.空手は湯の如し絶えず熱度を与えざれば元の水に還る
一.勝つ考は持つな負けぬ考は必要
一.敵に因って轉化せよ
一.戦は虚実の操縦如何に在り
一.人の手足を剣を思へ
一.男子門を出づれば百万の敵あり
一.構は初心者に後は自然体
一.形は正しく実戦は別物
一.力の強弱体の伸縮技の緩急を忘るな
一.常に思念工夫せよ


「空手は、勝つための技である」
「空手を学ぶのは、強くなるためである」
 a0068770_10174571.jpgひょっとしてあなたは、そう思っていないだろうか。実のところ、そう思いこんでいる人が、空手実習者の中にも少なくない。意外に思われるかもしれないが、船越義珍先師は、それはまったくの誤解であることを、本書を通じて解説する。空手とは断じて、闘争において勝ちを収めるだけの技術ではない。空手とは究極の武術でありながら、とりもなおさず、万人のための“精神修養の道”なのである。
 船越義珍先師は、「近代空手道の父」と言われる。沖縄尚武会の代表であった先師は、1922年5月、文部省主催の第1回古武道体育展覧会に招かれ、沖縄(琉球)独特の体技「琉球拳法・唐手術」を初めて本土で公開した。その演武を見学していた、嘉納治五郎先生(柔道の父)、中山博道(はくどう)先生(後に剣聖と謳われた)などの薦めもあって、東京に留まり、空手の普及に努めるようになる。
 各大学や警視庁などで指導を続け、それまでまったく知られていなかった、この武術を広く知らしめる傍ら、船越先師は、鎌倉円覚寺の慧訓管長のもとで参禅をする。修行の末、1929年頃に、沖縄にて元来、「手」(て)もしくは「唐手(とうで)」と呼ばれていた、その「唐手(からて)」の文字を「空手」に変更し、かつまた「空手術」を「空手道」に変更をした。そこに用いられた「空」(くう)の文字は、「徒手空拳にして身を守り敵を防ぐ」武道の心を象徴すると共に、「色即是空、空即是色」の思想に拠ったものである(自叙伝「空手道一路」より)。「西遊記」の三蔵法師のモデルとしても有名な中国僧・玄奘が漢訳した「般若心経」は仏教のエッセンスといわれるが、「色即是空、空即是色」の思想は、その根幹をなすものだ。武具を持つことが禁止されていた沖縄で、武士のあいだに秘かに伝えられ研鑽されてきた、護身術かつ必殺技である唐手術は、この時点で、精神修養の道にまで高められたのである。「空手道二十訓」はそれから数年後に、空手道を学ぶ者の心得、言い換えれば、空手道修業者の人生訓として完成したものである。1939年1月、その空手道を実践する道場として、東京の目白・雑司ヶ谷に日本初の空手道場、大日本空手道松濤館が誕生した。「松濤」とは、海に囲まれた故郷の地の松林を折りあるごとに散策し、松籟をこよなく愛した船越先生の雅号に由来している。

 「空手道二十訓」の第1条は、「空手道は礼に始まり、礼に終わることを忘るな」である。それはもちろん、空手の稽古がお辞儀に始まり、お辞儀に終わるべきことも意味している。だが、ここで言わんとしていることは、空手を学ぶ者は君子であるべきであり、道場を離れても、周囲の人に対してきちんと心のこもった挨拶をすることはもちろん、行住坐臥、礼に始まり、礼に終わるものだ、そして人生のすべてが礼に基づくべきだ、ということである。しかも、空手の修業を続けているうちに、おのずと、空手即礼の生活になっていくものなのである。

 船越先師の高弟、廣西元信師範(1913~1999)は礼について、「礼とは形、フォームであり、形から始まり、形に終わることを最も典型的に表現しているのが空手道である。形は心を内包しているものだ。」と解説していた。

 私は大学生のとき、空手部に入部し、この道に入ったわけだが、厳しく言われたのは、「決して喧嘩をしてはいけない。たとえいかなる理由があろうとも、喧嘩をした者は即、破門だ」という言葉だった。もちろん勝ち負けは問わない。船越先師は、空手が喧嘩などに悪用されたら、それは「邪拳」である、とことあるごとにおっしゃっていた。争う気持ちがあると、拳は邪拳になる、というのである。

 「二十訓」の中で最も有名なのが、一般の人の間にも浸透している言葉「空手に先手なし」(第2条)である。「空手は受けから始まる」という言葉も、同じ内容である。この意味するところは、決して後手に回る、ということではない。「いついかなる場合でも先手の攻撃はないけれど、心構え自体は常に先手先手といかなければならないと思う」と船越先師は述べられている(「空手道一路」)。さらに、この言葉を突き詰めれば、「自分もなく、相手もいない」「自他一如」「相手と同化し、相手を包み込む」ということになる。般若心経の「色即是空、空即是色」の言葉は、空手においては、このように解釈できる。とはいえ、「相手と同化し、相手を包み込む」ということを取り違えて、稽古が馴れ合いになってしまう人も、ないことはない。人望があって、そして稽古の積み重ねを通じてこそ、相手と仲良くなれるのであって、ただの仲良しの関係でいいのならば、空手を修業する必要はないだろう。
 第3条にいう。「空手は義の輔(たす)け」と。大義と、勇猛果敢の精神を喪失したならば、それは空手道ではない。

 第12条に言う。「勝つ考えは持つな、負けぬ考えは必要」と。これは、勝ち負けに囚われてはいけないけれど、決して負けない心得をもつということだ。そして、勝とうと思って相手を打ち破るようなことはないけれど、武術で鍛えられた裏付けがあるから、負けるようなことはない。これぞまさに“空”の境地であり、武道の極意なのである。

 私は船越先師の晩年の弟子にあたる。大学を卒業したばかりの時だが、大学の講堂で、空手部の10周年記念式典があった。すでに80歳を越えられていた先師だが、その日も、足腰を鍛えるための朴歯(ほうば)の下駄を履いて、会場に来られた。そして、ゆったりと、のびやかに、観空の演武をされたものである。式後の納会で、先生に呼ばれて、お話を伺っていると、先師は「道の角を曲がるときは、大回りにしなさい」と言われた。「何が潜んでるか、わからんでしょ。だから大回りをしなさい」と。
 いつまでも、驚くほど腕力が強い、空手の達人による、意外なほど平凡な言葉。だが、それが私の一番感銘を受けた言葉である。

 おそらく当時、沖縄の夜道には電灯もなく、辺り一面真っ暗闇で、どんな危険が待ちかまえているかわからないという、先師の実体験から生まれた言葉であろうが、私はそこに、闘いや危険を未然に防ぐ、空手の達人の心がけを知ったのである。
そう、第16条には「男子門を出づれば百万の敵あり」と記されている。

 第18条には、「形(かたち)は正しく、実戦は別物」とある。昇段試験の審査で形をほんのわずかでも間違えた者に対し、船越先師は絶対に昇段を認めなかった。「間違うようではダメです」と。「間違えても実力はあるじゃないですか」という反論にけっして耳を傾けることはなかった。

 私の空手修行も60年を迎える。倦まず弛まず、長い間、同じ稽古を繰り返してきたわけだが、最近になって、いろいろな発見をするようになった。型には、いろいろな隠れているものがある。それは誰も教えてくれない。だが、無心で、正しく反復練習を続けているうちに、「ああ、これだ!」「ああ、こういうことだったのか!」、そしてあるときには「ああ、これまでは間違っていたな!」という発見が生まれてくる。表に伝えられてきた型の奥に、熟練者のみが知ることのできる、実戦的な深い世界が潜んでいたのである。

 日本武道の奥義として伝えられてきた秘伝の巻物の絵や文を見ても、ふつうの人には何もわからない。ところが、長年熱心に稽古を続けている人物ならば、ある日突然、霧が晴れ、抜けるような青空が現れるように、秘伝の奥義がわかる日があるものなのである。

 「空手は一切武術の根本である」と船越先師は、「空手道教範」の中で述べられている。空手は武術の基本であり、例えば拳の代わりに、手に剣を持てば剣術になるし、棒をもてば棒術に、槍をもてば槍術になる。実際、船越先師の恩師の安里安恒先生は、示現流の剣の達人でもあり、数々のエピソードを残している。また、剛柔流空手の祖、宮城長順先生もすぐれた剣の使い手だったと聞く。
第15条には「人の手足を剣と思へ」とある。これは、“触れれば斬れる”ほどの空手の達人であった安里先生がよく口にされていた言葉だという。

 その考えに基づいて、私は、剣術の柳生新陰流を学んできた。ほぼ15年になる。柳生新陰流とは、江戸時代、代々、将軍家の後流儀とされてきた剣術の流派である。(江戸柳生の祖、柳生宗矩の著した「兵法家伝書」は有名である)。素手で相手の剣を奪ったり、剣をもって攻めてくる相手を素手で制したりする「無刀取り」で名高い。
 興味深いことに、船越先生の気合いは「ほーい-っ」という長いものであった。「えいっ」「やあっ」という短く切れたものではない。じつは、この気合いで突けば、すぐに身を転換できる。これは、柳生新陰流でも、宮本武蔵の二天一流でも同様で、打ち込みのとき、「ほーい-っ」という長い気合いをかける。古武道では、ひとしく、こうした気合いである。激しい、荒々しい呼吸でなく、穏やかな細くて長い呼吸、そして残心が重要であることが、ここから窺い知れる。

 船越先師の高弟、江上茂師範(1912-1981)によると、船越先師は「自然に逆らわず」という言葉をよく口にされていたという。第17条に「構えは初心者に、後は、自然体」とある。
この自然体というのは、なかなか理解が容易ではないようだが、つまるところ、初心者の域を越えた修行者ならば、普通の態度こそが大切である、ということだ。心は構えて、体は構えない。何が来るかわからないから、心は十二分に神経を張り巡らしているけれども、形は無構えである。

 柳生新陰流でも同じことが言われている。なんの構えも見せずに、相手が動き出すのを待っているが、相手が攻めにかかるのを見て取るやいなや、すかさず一歩引いて下がって、相手より一瞬早く体(たい)を入れて、左袖(左手)を前にして斬り込み、相手を一刀両断する。これぞ柳生新陰流の剣の極意なのだ。

 第13条に「敵に因って転化せよ」、そして第20条には「常に思念工夫せよ」とある。この言葉から思い出すのは、船越義珍先師の三男で、師範代として情熱的に指導してくださった、義豪(よしたか)先生(1906-1945)のことである。私たち門弟は、「若先生、若先生」と慕っていた。実に研究熱心で、今では空手において、まったく当たり前に行われている「回し蹴り」「横蹴り」の大元を発明されたのは、義豪先生であった。また、「太極(たいきょく)の型」や、組手「天之形」、そして棒術の型「松風」を創出したのも義豪先生であった。先生は、敵によって転化できる空手を、常に模索し、工夫されていたのである。

 第11条には、「空手は湯の如し、絶えず熱度を与えざれば元の水に還へる」とある。常に稽古を怠らないように、ということだ。大学生の頃、熱心に稽古を続けていたにもかかわらず、社会人になると仕事に追われて、空手から離れてしまう人を散見する。私自身にしても、壮年の折り、仕事で忙しいあまり、ほとんど稽古をすることができなかった数年間がある。今思うと、あの頃、どんなに忙しくとも、時間はわずかでもいい、もっと熱心に稽古を続けておけばよかった、と後悔している。そのため、そうした年代の人たちには、「いくら苦しくても、稽古をやっておかなくては駄目だよ」と言って聞かせている。一日たとえ数分でもいい。空手を続けようという心がけさえあれば、どんな環境にあっても、自分なりの稽古はできるものなのだ。

 第8条に言う。「道場のみの空手と思うな」と。
船越先師の持論は「空手とは、精神修養の道であると共に、誰にでもできる、体力がなくとも長く続けられる体育であり、健康法であり、護身術である」というものだった。
空手道とは、けっして、筋力、体力の優れた人たちのための武術ではない。真の空手道とはまさに、あらゆる年代の、世界中のさまざまな現代人が求め、必要としているものなのである。
ただし精神修養といっても、それは決して、しかつめらしい求道者になるべきだということではない。実際、船越先師は、たいそう洒脱なお人柄だった。

 「空手道の実習者ならば、仕事や学業などでいかに忙しくても、自分のやれる範囲内で、自然体を保って、無理なくいつまでも、空手道の精進を続けてほい。」ーーもし先師がご存命ならば、きっと、微笑を浮かべて、穏やかに、そう言われるに違いない。第9条に、「空手の修業は一生である」と記されている通りである。

 空手のみならず、武道全般に、そして人生すべてに通じる、珠玉の20の教え、それが本書「空手道二十訓」なのである。
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by kancho39 | 2005-12-28 10:15 | ◆武道と空手

●武道と1● 基本が最も大事です。・・・『笑』武道空手の真髄とかの名前で

■東京、むさし先輩の資料より

 武道空手の究極の理想は「勝負を争わずに、心を澄まし、胆を練り、自然の勝ちを要す」であります。言い換えれば、心境に曇りがなければ、構えずに、相手の心はもちろん、森羅万象が自分の心に自然に写る「水月の位」に到達する事であります。また日本空手協会は富名腰義珍先生を初代の最高師範にお迎えし、中山正敏先生が次の首席師範となりました。その頃から現在まで研修生制度という独自の制度を設け、その上に立って専門的な指導員稽古というのを行ってきましたが、その中で技術面で一番進歩したなと思うのが「基本」なのです。この「基本」というものは、何十年にもわたる協会の指導員稽古から生まれたもので、立ち方ひとつとっても理論的に極められ、バランスが取れています。だから基本と形と組手が「三位一体」となりうるのです。基本を充分にやって次に形、そして組手となっていく。また、「形」には勝負に関する多種多様な情報が蓄積されており、勝負に伴う動き方のコツと「極め」を表現しています。このような「形」を、日本文化の一大特色として重要視し、日本の国風文化としての空手を世界の人たちに再認識してもらうことが肝要です。
 
*水月の位とは
 塚原卜伝百首の中に「映るとも月も思はず 映すとも水も思はぬ広沢の池」という歌がある。その意味は歌詞の示す通り、月は水に映ろうとも思わないし、水も又月を映そうとは思わない、お互い無心の中に自然に生ずる美の調和と実に無心自然の応用を引用して剣の真髄を訓えたものでこの無心の境地を水月の位という。即ち剣をとる者は、あれで勝とう、これで勝とう、と勝つ方法のみに心を労するものではなく、只無心無欲の境地から発する心技でなくてはならないことを戒めたものである。無心無欲の心の技である剣の真髄を訓えた歌で、この無心の境地を「水月の位」という。
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by kancho39 | 2005-12-28 09:39 | ◆武道と空手

●武道と2● 空手へ、鉄騎へ

■東京、むさし先輩資料より
※空手は本土にきてから日本独特の土壌に溶け込んだ

 そもそも空手というのは中国から沖縄を経由して日本本土に伝わってきたと言われており、大正11年頃に富名腰義珍先生が東京で初めて空手の演武をしたのが、本土に近代空手が伝わってきた最初だと言われています。富名腰先生はもともと教育者であり、本土では慶応義塾や東京大学など、大学生を中心に空手を教えました。 沖縄では空手をみだりに人に教えてはならないとされていただけに、これは日本の空手にとって非常に幸いであり、それ以来、空手は日本の君子の武道として発展していく事となるわけです。例えば仏教はインドで生まれて中国や朝鮮半島を通って日本に伝わり、日本独特の仏教になりました。
 a0068770_10193731.jpgもともと日本という国は平安時代の頃から、輸入された文化をすべて国風文化としてしまう国でした。空手というのも恐らくそれと同じようにインド・中国を経て沖縄で発達し、本土に伝わってきてから、伝統柔術の「拳法」・「蹴法」を含めた日本武道という土壌の上で日本独特の武道としての空手道に育っていき、そして、その間、日本人の肌に合わないものは除去されていったのだと思います。空手の「から」の字も、当初は中国(唐)の手として「唐手」の字を使っていたのを、富名腰先生が仏教の言葉から引用した「空」の文字を用いて「空手」に改め、また形の「ナイファンチ」を「鉄騎」と改めたのも、そのひとつと言えるでしょう。もともと日本の空手と沖縄の唐手は育った土壌が違いますが、こうして本土に伝わってから、日本本土に古くから伝わる武士道という長い伝統の中にうまく溶け込んでいったのではないでしょうか。
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by kancho39 | 2005-12-28 09:32 | ◆武道と空手

●武道と3● 武道空手とスポーツ空手

■東京、むさし先輩の資料より
※ルールの中で優劣を競うスポーツと、境地を目指して人格を高める武道

 武士道というのは、当然「礼に始まり礼に終わる」、「稽古の前後には黙想をする」、「両親に感謝する」、「先輩を敬い、後輩をかわいがる」、「国を愛する」そういった事が根本にあります。また、武士道では所属する集団に対する忠誠心を持つということが必要とされますが、それだけではなく、個人が自立していなければなりません。 福沢諭吉が言う所の独立自尊ですね。精神、肉体ともに自立しているというのがひとつ武道の中の倫理としてあり、「忠誠心」と「個人の自立」の両方を持ち合わせなければならないと言えるでしょう。武道とスポーツの違いを大まかに言わせてもらえば、スポーツ空手というのはメダル獲得のためにポイントを争う競技がまず先にあり、人為的に定められ、ときどき大幅に変更される「ルール」の中でいかにポイントを稼ぐかというテクニックのために練習をするものです。武道の場合は「ポイント獲得」のためではなく、ここ一発の勝負に生死を賭ける決断をして、急所(ツボ)への一撃で相手を倒すという境地を目指して己の技を磨く、そしてその修行を通じて人格を高めることが目的であり、試合というのはその目的を達成するためのひとつの過程にすぎません。つまり組手競技、形競技という「競技」であるよりも、稽古の成果の「試し合い」なのですね。ですから武道空手とスポーツ空手では根本的なもののあり方が違います。
 武道空手の究極の理想は「勝負を争わずに、心を澄まし、胆を練り、自然の勝ちを要す」であります。言い換えれば、心境に曇りがなければ、構えずに、相手の心はもちろん、森羅万象が自分の心に自然に写る「水月の位」に到達する事であります。

▲競技空手では、
a0068770_10212196.jpg例えばヨーロッパ勢など影響力の強い関係者が、何らかの人工的な「ルール」を決定あるいは変更し、そのような「ルール」の中で勝利することを最優先としますから、基本にかける時間があれば競技で勝つノウハウを練習する事に時間を使った方が合理的で、競技で勝つためには基本なんてなくてもいいと考えていても不思議ではありません。
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by kancho39 | 2005-12-28 09:29 | ◆武道と空手

●武道と1● 流派と会派

■アンプアンさん  03/11/11
『流派』と『会派(団体)』という認識をすると理解しやすい。

▲船越義珍翁の空手道場を弟子達が後に『松濤館』と命名し、俗に『松濤館流』と呼ばれるようになりました。そして、船越翁の練達の弟子達が以下の様な団体(組織)をそれぞれ設立しました。a0068770_14413433.jpg
・三田空手会(慶大、粕谷真洋)
・一橋儀間派松涛流空手道協会(儀間真謹)
・社団法人日本空手協会(中山正敏)
・野口会(早大、野口宏)
・国際伝統空手連盟(西山英俊)
・国際松涛空手道連合謙交塾(岡野友三郎)
・国際松濤館空手道連盟(金澤弘和)
・世界松濤館空手道連盟(粕谷太郎)
・NPO法人日本空手松涛会(浅井哲彦)
・空手之道世界連盟(矢原)
・日本空手道松涛会
・日本空手道松涛館連合
・日本教育空手協会
http://www.n-jek.com/などなど・・・分裂しながら沢山の会派が存在します。これらの団体は全て、流派は松濤館(流)です。従って、流派・所属会派を尋ねられた場合は、例えば「『松濤館流』の『日本空手協会』に所属しています」という様に答えるのが適当です。

※NPO法人日本教育空手協会(小野寺脩)は
総本部道場の修空館が元協会ゆえ松涛館流に属しますが、理念として、『教育とは偏らないこと』とし、流派に拘らない空手を通じた教育をめざしており門戸を広げています。

▲『和道流』を名乗る会派団体。
神道揚心流柔術4世大塚博紀翁は、船越翁の松涛館にて空手を学ぶも、他の沖縄空手家、例えば摩文仁賢和や本部朝基達と親交、和道流柔術拳法、神州和道流空手術を編み出し、大日本空手道振武会を組織。後に流派名を『和道流』と改称、1964年全空連設立に伴い、全空連和道会と称する。しかし、1980年代初頃分裂、大塚和道流開祖は『和道流空手道連盟』を設立。現在、日本国内支部及び海外支部を有し、流派『和道流』を称する主な会派(組織、団体)は:
①全日本空手道連盟和道会…会長江里口栄一
②和道流空手道連盟…最高師範/宗家大塚次郎
③国際和道空手道連盟…鈴木辰夫(大塚博紀開祖の高弟、元イギリスナショナルコーチ)

▲『糸東流』を名乗る会派団体。

摩文仁賢和糸東流開祖は、考え方が非常に柔軟であった様で、結果的に多くの分派が派生した様です。
・国場糸東流聖心会(国場将豪)
・糸洲会(坂上隆祥)
・谷派糸東流修交会(谷長次郎)
・正気会(渡辺勝)
・林派糸東流会(林輝男)
・泊親会
・草野派糸東流会(草野健治)
・糸東会(岩田万蔵)
・・・などなど。そしてそのほとんどの会派は海外支部を持っています。

▲『剛柔流』を名乗る会派(団体・組織)。

①全日本空手道連盟剛柔会…会長宇治田栄蔵
  JKF Goju-kai
②全日本空手道剛柔会…会長/最高師範山口剛史
  International Karatedo Goju-kai Association (IKGA)国際空手道剛柔会
③国際沖縄剛柔流空手道連盟…主席師範東恩納盛男
  International Okinawan Goju-ryu Karatedo Federation (IOGKAF)
④日本正剛館空手道士会…多田正剛
・・・②&③は世界50カ国以上に支部を、そして①&④は世界10カ国程度に支部を持つ。又、八木先生の明武館、宮里先生の順道館そして渡口先生の尚礼館も海外に道場がある。
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by kancho39 | 2005-12-28 08:28 | ◆武道と空手

●武道と2● 那覇手の系譜

■アンプアンさん  03/11/11
那覇手の系譜

東恩納寛量の弟子達:
A.許田重発…後に東恩流と命名
B.宮城長順…後に剛柔流と命名
C.摩文仁賢和…剛柔流の免状も発行している、糸洲流2世、後の糸東流開祖
D.比嘉世幸…後に日本剛柔流と命名

▲摩文仁賢和の流れ:
  ①糸洲流→坂上隆祥(糸洲流3世、日本空手道糸洲会会祖)
  ②剛柔流→崎浜盛次郎(後の柔剛自然流開祖)
  ③糸東流→国場将豪(国場糸東流)、渡辺勝(正気会)、谷長次郎(修交会)
  摩文仁賢栄(日本空手道糸東流)、摩文仁賢三(日本空手道会)、岩田万蔵(糸東会)その他分派多数

▲宮城長順の流れ:
  ①1番弟子は何と言っても新里仁安(戦没)
  ②長順から十段範士を允許された4人(3沖縄人&1日本人)
    1.八木明徳…道場名:明武館、会派名:沖縄空手道剛柔会
    2.宮里栄一…順道館、沖縄剛柔流空手道協会
    3.渡口政吉…尚礼館、沖縄剛柔流空手道尚礼会
    4.山口実美(剛玄)…剛柔館、全日本空手道剛柔会
  ③その他大勢…金城兼盛(空真流)、崎山達徳、南条喜寿、仲井間元楷、与儀実栄、古堅春震  
    宮城安一→東恩納盛男(琉武館、国際沖縄剛柔流空手道連盟)

▲比嘉世幸の流れ:
(世幸は寛量没後長順に師事するも、長順に破門されたとの噂あり)
○泉川寛喜(川崎泉武館、関東最古の那覇手道場)
→泉川寛文(寛喜の長男)、荒川武仙(倫武館)
→市川素水(素水館)→原田彪太郎(誠心塾)、大塚忠彦(剛柔拳舎)鈴木覚(覚心塾)、須藤雅史、千葉拳二郎(剛武館、全日本剛柔流空手道連盟)、金澤龍司(国際剛柔流空手道連盟)
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by kancho39 | 2005-12-27 23:29 | ◆武道と空手