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あごひげ館長の飛び蹴り!       コメント自由に書き込めますよ!     右下 Commentsから どうぞ!
by kancho39
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諺から思うこと 2

■天上天下唯我独尊
あごひげ
諺から思うこと 2_a0068770_11485124.jpg
昭和49年に修空館道場を開設し現在に至る、道場から500m先の浄音寺と共に歩むことで(座禅の指導をいただいて)今日の隆盛があるといつも感謝しています。来月12月3日には合同稽古始まりのときに『成道会』(お釈迦さまが悟りを開いた日(12/8)をし、1/14鏡開きには浄音寺住職による不動明王(氣不動明王)祈願祭をします。

さて、
『唯我独尊』が、うぬぼれ、独りよがり、あるいはテレビでも、『俺が一番』という意味だと誰かが言ってました。
しかし、私が和尚さんによる座禅会を通して聞いた話は違います。たしか、お釈迦様は4/8に生まれてすぐに七歩 歩いて天に向けて右の人差し指(左は地)を指し、天上天下唯我独尊!! と言いました。その意味は、俺が一番とかうぬぼれとかではなく、、生まれてきた私一人はこの大宇宙の中でもたった一人の私であり掛け替えのない命である、というような内容だったと思います。一人一人がみんな違う、みんなが唯我独尊であり、尊い存在、尊い命だからお互いの違いを認め合う思いやりの心が必要・・・そのようなことを和尚さんが言っていました。
今日この現代社会に忘れ去った言葉がここにあるように思います。それぞれが自分を中心に自己主張し達成のためには氣に食わないものは平氣でつぶそうとしたり妨害、しいては殺害にいたる・・・なんともまあ、お釈迦様は、うぬぼれるな、他を見ろ、思いやりの心を持て!! と、もう生まれた時点で今日を憂い現代の私たちにも示していたのかもしれません。

■メールの答え
浄音寺 住職より

※和尚さん(曹洞宗)にメールを送ったところ以下のように返信がありました。


はい。館長さんの考えの通りです。文字だけの表を見て、一人よがりの人だなんて理解する方がいるのは確かです。ただ公の場でそんなふうに発言されるのは困りますね。スミレやタンポポはそれですばらしいし、蘭やカトレアもすばらしい。私達人間が勝手に 価値をつけてるんだなあ。金子みすずさんが、みんな違って皆いい、ということを詩に書いてます。すばらしい。
また こんど

■まっちゃん

極特別な信仰心は無いのですが、我家も曹洞宗の檀家。また、偶然にも息子達の通っている(通った)高校も曹洞宗。ですから、「唯我独尊」は耳にたこ、などと言うと罰があたりますが、よく耳にしている言葉です。
今更、プロ(和尚様)も言われているで、重ね書きも失礼かとは思いますが、自分も同様に聴いております。現代風に言えば、SMAPの「世界にひとつだけの花」とでも言いましょうか?他人を敬い、自分を大切に。そんな思いが込められた言葉と聴いております。
先生!少しずれますが、他の題目も含め、この一連の「いじめ」や親の未熟、他この関連で、自分は次のように思う事があるのです。「三つ子の魂、百まで」この言葉は、教育の原点を指して居るように思えます。(この投稿を続ける前に、決していじめを肯定することではない事、但し書きとして書いておきます。そして一般論として・・・・・。)では本題です。
いじめる側、いじめられる側どちらにも責任はあると思います。と言うより、共に幼児期の初期段階で、親の対応がまずかったのではないでしょうか?親(大人)の言うことを聴く。親(大人)は偉い。そのように教え込む教育これが原点だと思うのです。ここから全てが始まるのではないでしょうか?今の時代妙に、友達化した親が理想的の様に言われてます。嫌われるのが嫌で、何でもYesYesYesの親が多いと思いませんか?
親は、理解有る友達でも、ご機嫌取りの御用聞きでも無くて良いと思いませんか?
この部分を怠った(勘違いした)家庭が、他人を平気で傷つけたり、自分を傷つけたりする子供にしてしまうのではないしょうか?
世間で良く出会う光景に、○○ちゃん今日は何が食べたい?今日はどんな服着る?何処に行く?今日は帰る?稽古して行く?こんな生活を事ある毎にさせている親を多く見受けます。一見、理解が有り、「子供の意思尊重」等と言いながら・・・・・・本当に意思尊重等といえるのでしょうか?意思の尊重は、高校や大学に成って行った時、少しづつ開放して行けばよいと思います。
小さい子供に決定権を与えるのは反対です。これは、ある意味、親の手抜きです。一つ一つ親があれこれと考える必要が無いから楽です。文句を言えば、「自分で決めたことでしょ!」と一喝できます。子供に結論出させて楽しているのではないでしょうか?
例えば、季節、気温、天気予報、体調、場面を考え親の決めた服を着せる。そして中には、親が決めたものだと、不平不満を言う子供も居ますよね。そこで親が子供を言い聞かせる、なだめる、さもなければ、時には強制的に親の権限で決めつける。こんなコミニケーションが大事だと思います。一例ですが、一つ一つの事に手間をかける!ことが大事なのだと思います。

そうでなければ、子供は、親(他人)は、子供(自分)の言うことならなんでもきく。言いなりになる。「地球の真ん中に自分が居る」そんなことを植えつけているだけです。自分達の時代は父親が絶対で、飯のおかず、TVチャンネル、風呂、等の優先権は、子供に有りませんでした。だから、たまに、「おかず何が良い?お前の好きな物にしてやる」なんて言葉を親から言われると嬉しかったです。でも今の子供の環境は逆です。こんな子供達が、
自分の思い通りにならない!=切れて暴力をふるう
自分の嫌なことに直面!=関単に自分を「殺す」
自分の嫌なタイプの人間に遭遇!=簡単に他人を「殺す」
このように関連してゆくのではないでしょうか?極論過ぎるかもしれませんが、一番の根底に根付く部分だと思います。
この荒れた世の中で、子供を可愛がる(守る)事は必要ですが、自分の欲望を満たすためのペット的可愛がり=「無責任な過保護」ではなく、いずれ子供が自立し一人で生きてゆけるように導く「責任ある過保護」でなければ、荒れる一方だと思います。

■トラブル・・・
あごひげ - 2006/11/21
諺から思うこと 2_a0068770_1149214.jpg
子供たちだけでなく大人社会でのトラブルも多いですね。みんな生きているから自己主張し、またあるときは負けたくないから策を弄してがんばる??まあきっと動物の・・弱肉強食の世界ではもっとひどいのでしょうか。。。私たちがこの世で受ける苦しみというのは実は複雑に絡み合った糸のようにもともとトラぶっているのかも知れません。人間界の性(サガ)てやつでしょうか。私が思うに、最近流行り??の自殺については、明らかに人間不信というか頼る人がいなくなり暗くて小さな箱に閉じこもった末の行き場をなくした結末かなあと思います。飛び降り、手首カット・・、むごいですね。そうなるまで追い詰めて。でも一つには、関東の友人が言うとおり、そうなってしまった原因というのが本人と親側にもなかったかという反省も出てきます。亡くなった子と家庭には申し訳ないが、同じ悲劇を起こさないためにも風化させないように激論!!したいところです。

現代っ子たちは過保護家庭、幸せ過ぎに育てられてはいないでしょうか?食べ物は好きな物を好きなだけ与えられ、欲しいものは時には何かのご褒美にとおじいさんおばあさんがしゃしゃり出て買ってやる・・、小さいときから個室まで与えられるところを見ると、まるで温室で蝶よ花よと育てられているように見えます。それでいてうちの子はこれだけ優秀、あの子に勝った、こっちがこれだけ優秀・・といつも誰かと比較しています。でもでも・・、それは言わば本人の努力というよりは親・家庭の努力の結晶であり、作られた形(かたち)であり、本人の人間的成長と自信、という部分ではどうなのだろうかと疑ってしまいます。必ずしも学校の成績が良い、空手の成績が優秀だから立派な人格完成ではないということ、つまり、学業や空手の技が上手かろうと下手だろうと・・、そこまでにいたる当人の自立心の成せる業がどれほどあったかという尺度になるのではないだろうかと私は思うのです。現代っ子たちが置かれている環境はまるでガラスの箱入りで育てられている家庭が多く、ちょっとした陰口や暴言でもそれが、学校でのいじめ?となり、失意のどん底??を味わい始めてからはもう立ち上がれない・・。親はその姿を見て目いっぱい我が子に同情しあるときは先生に喰って掛かるが道はなぜか開けない。。

昔はね、兄弟が多く、かつ、いちいち親家族の中で子供をかまってやる環境にもなかったので、めざしの一匹でも取り合うようにして生きてきたものです、どの家庭でも。世の中は実は、天氣だって晴れの日も突風の日もあるように波風があるのが当たり前であり、嫌なこと、悪いことがいっぱい起るのも、どの人だってそういう人生だ!!というところに氣が付かなきゃあね。

よく、『子供の心に傷をつけてー!!』、とか言いますよね。でも、いったいどこに心という場所が存在するのでしょうか。。
私は、
心って幸せに感じるも不幸に感じるも何があっても捉え様・・と解釈するならば未来は自由に開けるのではないだろうかと思うのです。手足だって傷がついても薬を付けなくとも自然治癒力で、とりわけ天日乾燥すればいっそう早く治ります。動物は体調が悪いときは外に出て細長い草を噛んでいたり、一週間も何も食べないでじっとしていたりして自分で治します。ほんとに。動物以上の人間だから、そこを上手に切り替えて逞しく生きて行ってほしいんだなあ、、勉強して氣が付いて努力してさ。少々のことでくじけない、『心に傷』も何も、傷のついたそこから強くなっていくと解釈のできる強い人に育って欲しいんだな。

小さいときによく家の手伝いで畑の麦踏みを手伝わされました。麦は踏まれてこそ腰が強くなり伸びても倒れない強い麦に育つとのことです。道端の雑草は、車に踏まれても、あるときは私にションベン掛けられても、でもでも何クソ人生で強く逞しくへこたれることは絶対にない。引き抜かない限りはみんな正々堂々と精一杯に生きています。みんなで考えて見ましょうよ、子供たちを置く環境をね。。。

諺から思うこと 2_a0068770_11505842.jpg▲館長の信ずる人生
(総本部待合室の色紙額にあり)

我が行く道よ
正しくあれ
たとえ石ころゴロゴロたりとも
我が行く道よ
大きくあれ

■麦踏みの話し
大阪の武田先生より

館長の麦踏の話、いいですねー、私も経験が沢山ありますのでよく解ります。今、遠い昔の思い出が懐かしく頭の中を駈け巡っております。私の田舎の愛媛では12月末か1月始め、麦が5センチぐらい育つと麦踏をしました。小学校の頃の私は麦踏の意味がわかりませんでした。せっかく順調に育った麦を踏んで、ぺしゃんこにするのいですからねー、可愛そうに思いました。当然、麦の成長はしばらくは止まりましたねー、でも踏まれた麦は、その内にじっくり起き上がってきます、それから逞しい麦として成長するのですねー。
 まるで人間と同じだと思いました。館長が言われる「現代っ子たちは過保護家庭、幸せ過ぎに育てられてはいないでしょうか?」ーー正にその通りーー。人間にも麦踏が必要ですねー、それも麦と同じように、小さい時にやることが大切だと思います、麦も大きくなって踏むと、麦そのものがだめになります。塾に行かせて勉強だけ出来て、麦踏の出来ていない子はいずれは壁にぶち当たると思います。世の親達は早く気づいて下さい、と思います。
諺から思うこと 2_a0068770_11521392.jpg
■スキンシップだよ
太極拳娘 28才 秀英

先生こんにちは、おひさしぶりでーす。お元気ですか?今日太極拳でしたね。まだ24式はちゃんと覚えてますよ。
子供たちの件ですが、今の子供たちがトラブル起こすのは、足りないものがあるからじゃないですか?親子のスキンシップが足りない人って結構いますよね。スキンシップの取り方っていろいろありますけど、私もなかなかスキンシップとれない時ありますが、ただ他のお母さんたちはしない、手作りのおやつを作ってあげたり、食事とかも好みのもの一品はつけて苦手なものも一緒に食べてもらったりと、そういうところでスキンシップ取ってます。私は無器用だから、忙しいと子供の話をちゃんと聞いてあげること出来ない時もあるので、子供たちの好きなおやつ1つつくるだけでも喜んでくれますからね。クッキーとか焼いてだすと、他の子供たちにも結構評判いいんですよ。そういうのって大事なんじゃないかなーって思いますよ。

先生、太極拳頑張ってくださいね。時間があるときに行ってみます(^0^)/
by kancho39 | 2006-11-24 11:49
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