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あごひげ館長の飛び蹴り!       コメント自由に書き込めますよ!     右下 Commentsから どうぞ!
by kancho39
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●武道と2● カラテとは? ~空手 カラテ

■日本大百科全書より  99/06/17

 徒手空拳(クウケン)をもって身体の使用可能なあらゆる部位、とくに手脚を組織的に鍛練し、その一突一蹴(ヒトツキヒトケリ)で不時の敵を倒しうるように修練された護身術。勝敗を究極の目的とするものではなく、有形無形の試練を乗り越え鍛練を基礎とし、その汗のなかから人間完成への努力を図って、自己の可能性と礼とを深く窮めていく武道である。四肢を合理的に動かし、しかも平常あまり使用することのない筋肉をも十分に使用するので、身体の発達が一方に偏する心配のない優れた体育でもある。生理的には、正しい呼吸法によって精神を統一し、健康を生み出し増進する体術でもある。

▲〔発生と歴史〕
 空手は元来「唐手」と書かれ、沖縄において発達完成された護身術であるが、その発生の過程で中国拳法(ケンポウ)の影響を多分に受けている。古くは単に「手」とも称し、その発生の事情のゆえに秘法視され、教える者も学ぶ者も家族にすらわからないようにひそかに習練が行われたとされる。これは明治30年代、首里師範学校で公開されるまで続くが、この秘密性が唐手の性格に深い影響を及ぼしていることは見逃せない。それとともに、その威力のあまりの大きさに、霊妙唐手とか神秘唐手とかうたわれたのである。
 この唐手がいつの時代から沖縄に存在したのか、確かな文献が残されていないので口伝によるしかないが、1430年ごろ長年の戦乱時代をよく統一しえた中山の尚巴志(シヨウハシ)王の極端な禁武政策と、1609年(慶長14)沖縄を制圧した薩摩(サツマ)藩による武器禁止令により、武器をもつ敵からわが身を護(マモ)る唯一の手段は徒手による護身術しかなくなったとされる。これらの事情を契機として、14世紀ごろ沖縄に大量に流入した中国の文物の一つとしての拳法が、秘密性の強い唐手へと高度に発達していったのである。
 沖縄の手(テ)は、那覇手(ナハテ)、首里手(シユリテ)、泊手(トマリテ)など沖縄の地名によって流派が分かれる。東恩納寛量(ヒガシオンナカンリヨウ)に代表される那覇手は昭霊流とも称し、体格の大きな人に向く重厚なもので、中国拳法の南拳に似ている。糸洲安恒(イトスアンコウ)が集大成した首里手は昭林流(小林流)ともよばれ、軽快な北拳に似る。これらの基となる中国拳法は、5000年の歴史をもつとされるインドのヨーガ、中国のカンフー(医療体術)、三国時代の外科医華佗(カダ)が考案したという五禽(ゴキン)の術、達磨(ダルマ)大師が身体鍛練のため少林寺(河南省)において弟子の僧たちに授けた易筋経(エキキンキヨウ)が、それぞれ大きく影響しているとされる。

▲〔日本本土における発達〕
 a0068770_1935147.jpg日本本土における空手の黎明(レイメイ)は1922年(大正11)、当時沖縄尚武会会長であった船越義珍(フナコシギチン)が文部省に招聘(シヨウヘイ)されて上京、体育展覧会に沖縄の特技「唐手」を演武、紹介したときに始まる。その後の唐手(空手)の興隆は、彼の人格的魅力とその指導力によるところが大きく、学生を中心に修業者が増え続け、24年から35年(昭和10)までの勃興(ボツコウ)期には、慶大、東大、第一高等学校、拓殖大、早大、商科大(現一橋大)、法大など相次いで空手部が創設された。これに刺激を受けた関西でも、29年ごろ、麻文仁賢和(マブニケンワ)(糸東(シトウ)流創始者)、宮城長順(剛柔(ゴウジユウ)流創始者)、本部(モトブ)朝基、屋比久孟伝(ヤビクモウデン)などの指導者が渡来し、それを機に立命館大、関西大などに部活動が始まった。この大学生間での高揚がその後の空手道に幸いした。つまり、大学生の知性と日本武道の伝統と感覚が、霊妙神秘な唐手術を科学性のある近代空手道へと育成していった。これらは、31年、船越による「唐手」から「空手道」への改称へとつながる。「空」の字は禅の理念に基づき、とくに「道」を加えたのは術偏重を戒め、武道としての精神面と倫理性を強調する趣意によるとされている。なお空手という字句は、1905年(明治38)花城(ハナグスク)長茂が著した『空手組手編』が文献上の初出とされる。
 1942年(昭和17)から43年ごろは、全国の主要大学の空手部を中心に第一次最盛期を迎えた。終戦後一時停頓(テイトン)したが、46年(昭和21)大浜信泉(ノブモト)早大教授がGHQ(連合国最高司令部)、文部省と交渉。古来よりの護身の面のほかに、競技、つまり他のスポーツと同様にルールを設けて試合のできるような近代スポーツ空手道が研究されて再開を認められ空手道は「君子の武道」として、新たな歩みを始めた。47年には早大の道場において初めて各流合同の演武会が行われ、49年船越門下によって日本空手協会が結成される。翌年には全日本学生空手道連盟が結成、ふたたび学生や各流派を中心に隆盛期を迎えた。また、空手道の新しい1分野を開くものとして、57年第1回全日本学生空手道選手権大会が開催され、同年日本空手協会も第1回全国空手選手権大会を東京体育館にて公開した。
 その後、各流派も一定のルールの基に全国大会を開催、1964年、流派を越えて全日本空手道連盟が結成された(初代会長大浜信泉)。
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by kancho39 | 2005-12-31 19:04 | ◆武道と空手
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