●武道と3● 武道空手とスポーツ空手 |
■東京、むさし先輩の資料より ※ルールの中で優劣を競うスポーツと、境地を目指して人格を高める武道 武士道というのは、当然「礼に始まり礼に終わる」、「稽古の前後には黙想をする」、「両親に感謝する」、「先輩を敬い、後輩をかわいがる」、「国を愛する」そういった事が根本にあります。また、武士道では所属する集団に対する忠誠心を持つということが必要とされますが、それだけではなく、個人が自立していなければなりません。 福沢諭吉が言う所の独立自尊ですね。精神、肉体ともに自立しているというのがひとつ武道の中の倫理としてあり、「忠誠心」と「個人の自立」の両方を持ち合わせなければならないと言えるでしょう。武道とスポーツの違いを大まかに言わせてもらえば、スポーツ空手というのはメダル獲得のためにポイントを争う競技がまず先にあり、人為的に定められ、ときどき大幅に変更される「ルール」の中でいかにポイントを稼ぐかというテクニックのために練習をするものです。武道の場合は「ポイント獲得」のためではなく、ここ一発の勝負に生死を賭ける決断をして、急所(ツボ)への一撃で相手を倒すという境地を目指して己の技を磨く、そしてその修行を通じて人格を高めることが目的であり、試合というのはその目的を達成するためのひとつの過程にすぎません。つまり組手競技、形競技という「競技」であるよりも、稽古の成果の「試し合い」なのですね。ですから武道空手とスポーツ空手では根本的なもののあり方が違います。 武道空手の究極の理想は「勝負を争わずに、心を澄まし、胆を練り、自然の勝ちを要す」であります。言い換えれば、心境に曇りがなければ、構えずに、相手の心はもちろん、森羅万象が自分の心に自然に写る「水月の位」に到達する事であります。 ▲競技空手では、 例えばヨーロッパ勢など影響力の強い関係者が、何らかの人工的な「ルール」を決定あるいは変更し、そのような「ルール」の中で勝利することを最優先としますから、基本にかける時間があれば競技で勝つノウハウを練習する事に時間を使った方が合理的で、競技で勝つためには基本なんてなくてもいいと考えていても不思議ではありません。 |
by kancho39
| 2005-12-28 09:29
| ◆武道と空手
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