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あごひげ館長の飛び蹴り!       コメント自由に書き込めますよ!     右下 Commentsから どうぞ!
by kancho39
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<   2005年 11月 ( 47 )   > この月の画像一覧

●元氣が● 『人間万事、塞翁が馬』

■あごひげ

 a0068770_12352110.jpg人間の一生は、幸不幸で極め付けることは出来ない、幸せも不幸せも予想がつかないことを言う。昔、中国の国境の地にあった塞(とりで)に住む老人(塞翁)の家にあった話。。。有るとき塞翁さんが飼っていた大切にしていた馬が逃げていなくなりとても悲しんでいました。ところが後日その馬はなんと駿馬(しゅんめ)を連れて帰ってたので大喜び!。。。ところが、乗っていたその駿馬より息子が落馬し足の骨を折る大怪我をしたけれど、その為に、息子は(健康な若者はみな兵士へと連れて行かれたのに)翁の息子は徴兵を免れて戦死をせずに済んだのだった(古事)、、、という二転三転のお話。
 人生に波は付き物で、いいときも有れば悪いときも有る。いいときがある時は慎重に物事を運ぶべきであり、悪いことがあったとしても何かしらの福を呼ぶことになるやもしれず悲しんでばかりいては先は見えない。我が人生を振り返っても大きな転換期が幾つかある。それらすべてが、そのときは不幸に思えても何十年も経った今にして思えば後に福を呼んでいる。禍転じて福と成す、という言葉もあるように、それは何年か後に分るようなことが多いかもしれないが,人の一生は一体何が幸福なのか一考する必要があろうということだろう。。。

◎この話にはもう一つの言い方があり、塞翁さんが、いいときも悪いときも・・『いや待てよ、この次は何が起こるかー』、と慎重に事を運んだ話。
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by kancho39 | 2005-11-29 10:06 | ◆元氣が出る言葉!

●氣と空手● 氣の使い方

■あごひげ

武道で用いる氣と健康で使う氣は違います。また、空手で使う氣と合気道で使う氣も違うようです。氣功で使う氣もこれらとはまったく違うのです。ですが、共通して言えることは、人間が元々生まれながらにして持っている根源的な氣、元氣エネルギー、それは常に生成、変化、発展を繰り返し、氣の持ちよう、使いようでどのようにも自分の生きる道に応用できるものだということです。

>氣で人を吹っ飛ばしたり、氣で瓦を割ったり

それは、氣功の中でも、硬氣功(武術氣功)に分類されます。最初は内氣を高め、徐々に相手や物に対し放出、生成を繰り返していく中で磨かれ応用できていくものです。まずは自分の体で氣の流れを体感できるように訓練します。時には、自己との対話・・氣の流れを感じることで内氣の流れをコントロールし内臓エネルギーを高め、全身にくまなく氣を送る、などして自分の体調を診る・・かな。
次には放出できるときに氣で道筋を捉え、相手に伝えたり、物に波動として送ることが出来たりしていきます。それらを磨くために様々な動功があるのだと思います。太極拳をやるときも呼吸法とともに氣を練り、流れをコントロールし、導けるようになりたいものです。(私は太極拳のおばちゃんたちに、動作の追及だけでなく氣感も得るように指導しています)
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by kancho39 | 2005-11-27 23:12 | ◆氣と空手

●武道と● 万が一の実践とは。

■2005/11  あごひげ

空手は沖縄の禁武政策から発展した経緯があり元々我が身を守る武術であったことはもちろんです。ですが、ひとつ現代において忘れてはならないこと、それは沖縄の空手が本土に紹介されるにあたり、『沖縄の唐手から本土の空手』に変わったようにその目的自体も変化しているということです。危険な業だからこそ自分を戒める、自分を制することの出来る人格を同時に磨け、ということになります。
開祖、船越先生は『空手に先手なし』ほか松涛二十訓を私たちに残しました。言わば、現代の競技スポーツ空手の先手必勝とは考えが180度違っているのです。競技では如何にして相手よりも早く突き蹴りを出すかですが、実践の場合は、今やったら完全に正当防衛が成り立つという時点でしか使えないと自分を戒めておく必要もあります。現代ではすぐ裁判になりしかも自分では正当と思っていたことでも相手の弁護士次第で自分が犯罪者にもなりうる、こともあるわけです。
『いかなるときも空手を使ってはならない』、これはギリギリの段階まで待てという意味です。空手の稽古を積む目的が100人が全員我が身を守るためということで強さのみを習得しようとしているわけではありません。年をとってくると周りの人たちの死によく出くわします。親戚のおじさん、知り合い、お世話になった人など、年齢が高くなるに連れて大事な人が他界したりします。でもそういう中でも、殺された、と言う人は私の周りではいません。今後はどうか分かりませんが少なくとも、万が一というのは極端に少ない確率でしかないわけで、むしろ死の確立が高いのは病氣や老齢化、その次の交通事故などの不慮の事故です。まだまだ日本は平和であり、自分から危険な場所に近づかない、あるいはその臭いを察知する氣構え、心構えをもって居るならば、少なくとも殺される確立はもっともっと低くできるわけです。
私が、『我が身を守る』とか、『護身』を考えるときは、一応指導者の立場として、元々ひ弱な女性や、最初から体力がない、腕がかぼそいなどの人が護身として捉える場合のことです。理想は自分が強くなり、いつ如何なるときでも闘える力がある、ということでしょうが、みんながみんな、空手をやって、自分よりもデカイ暴漢に立ち向かえるような空手家に上達するとも思えません。空手をやる目的や、自分の置かれた環境がみな違うのですから、最初から『万が一』のときにと脅しても、そういう場面に何度か遭遇しない限りは本氣で取り組むこともないでしょう。もともと非力な人間が、大男や数人に取り囲まれたときどうするか・・・。それは、第一にまずそういう場面を作らないことであり、第二に、そういう場面では大声を出せるようにしておくということ、第三に一撃を食らわせて如何に素早く逃げるか、そしてそれでもつかまった場合においてのみ、『万が一』の手立てということになります。
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by kancho39 | 2005-11-26 22:40 | ◆武道と空手

●武道と● 『実践』の捉え方・・

■2005/11  あごひげ

 世の中はだいぶ変わってきました。人を傷つければすぐ訴えられ犯罪です。まして空手をやって居るものは、まずはそういうところに近づかないこと、危険な匂いを察知すること、がもっと必要なことです。さらに、そういう場合になっても相手を傷付けずにまずは相手に納得させる度量器量というのも、実践の強さ以上に磨いておきたいものです。血氣の勇に はやりすぐにでも相手を睨みつけ手を出す、、、そういうのは武道をたしなむ、武人とは言えないと思います。まして私たちは指導者ですからただ単に殴るのが強い人間を育てていたのではそれは社会悪でしかありません。私は、大勢の他人、特に青少年に与える影響を考えたとき、テレビ、雑誌、そして私たち道場経営者やスポ少指導者など、青少年を取り巻く環境のすべての人たちは、自己満足の世界の追求とともに社会貢献していくというスタンスを持たねばならないと思っています。。。
 a0068770_115494.jpg私は、道場の子供たちには、「学校でもやられたらすぐやり返せ」とは指導していません。絶対に空手を使ってはならないと指導しています。ただし、イジメがひどい場合、我慢できない場合は先生に言うこと、先生に、「僕はこうされていて中々相手がやめてくれないから空手を使っていいか」と聞きなさい、と指導しています。それでも解決できない場合は館長(私)に言いなさい、いつでも館長は学校に行く!と言っています。このように指導しているなかでも、三十数年の道場経営の中でイジメ問題は十数回ありましたが、(ヤクザの家庭も含めて)いずれも相手方の家に行き状況把握をする過程においてはもうイジメはなくなっていました。『あごひげ』効果と言えるでしょうか、指導者の私はそういう場合、もともと腕と言葉のやり取りに自信があるのでコワいものはありませんから・・。実践にならない方法を取るのが最良の方法ではありますが、世の中、こうも乱れてくると明日に我が身にわが家族に何が起こるかは誰も想像できない時代ではあります・・。
 私は、仙台G先輩から言われた『小野寺!空手は社会貢献だぞ!』の言葉を忘れないようにしたいです。立ち上げたNPO法人日本教育空手協会を頑張って広げ、複雑怪奇な世の中を生きていく青少年に出来るだけ正しい影響を与えていきたいと強く願っています。
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by kancho39 | 2005-11-23 09:35 | ◆武道と空手

●極めの● 極めの定義

■あごひげ

極めの定義(極めと寸止めの違い)

1、目標の寸前で止める。伸ばせば最終地点に届く・・これは寸止めです。
2、目標を寸前に置いて最大限の爆発(破壊)をする・・・これは極めです。
   氣合いは極めと同時に行わなければ意味がありません。
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by kancho39 | 2005-11-21 14:26 | ◆極めの空手

●JEK&● JEKについて

■あごひげ

>NPO(非営利組織)だから利権も発生させない?
a0068770_10563258.jpg
役員は全員が無報酬です。指導員や専任の事務スタッフを置かずに、その傘下になるそれぞれの道場に活動を任せるのが基本ですから、教育空手協会への負担金は少なくて済みます。集まったお金も、傘下になる支部、そして会員達のためにすべて使います。また、傘下団体それぞれの会費や活動に制限を設けるものでもありません。傘下する団体の活動、会費などはそのまま従来どおりということです。じゃあ教育空手協会は何かというと、具体的に言うならば、大会や各種の行事、あるいは審査会などを主催したり援助します。審査会は、各県本部での審査に全面一任です。任せられる有資格者でという条件は出てきますが(詳細は審査規約)。集まるお金は定められた日当など以外は特定個人には一銭も入りません。みんなのお金です。NPO法人は、国、県、地方自治体で優遇されている分、各種の報告義務が厳しいです。設立されても定款どおりの活動、個人の利益に繋がらない活動、事業会計収支予算決算の報告などをしっかりしていかなければならないシステムになっています。
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by kancho39 | 2005-11-21 14:24 | ◆JEK&総本部

●氣と空手● 当てろ!と指導すること。

■あごひげ

当てろ!と指導すること。
a0068770_1745170.jpg当てろ、と指導するのは真剣に突かせるということであり、一方当てられると思えば受ける側も必死に受ける。つまり、どちらも一所懸命にやるから上手になる、強くなる、レベルが上がるということです。また、試合ではその必死な姿で当てていくことにより、相手に伝わるものそれは恐怖感であり、自分のペースで試合を進めていける、ということだと思います。ルールと言っても、ちょっと当ててすぐ反則を取られる場合もあれば、そうでない場合もあるし、警告、注意、反則とその程度により反則が進む場合、一発で反則になる場合といろいろです。これらを巧みに活用しつつ(ちょっと問題発言ではありますが・・)、相手を押していくということも一つの氣の戦法であり流れの作り方です。『下がるな!』、『前に出ろ!』、『最初に突け!』など、子供たちの指導ではあっても、テクニックの前にまずは氣を出させることを教えていくことはとても大切なことです。
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by kancho39 | 2005-11-18 13:22 | ◆氣と空手

●武道と● 人生の基本を学ぶ。

■あごひげ

この武道性を学ぶには基本一本組手でしっかりと相手を突く、相手もしっかりと受けると言うのが大事です。武道空手は基本の空手であり、基本を学ぶということは一方、人生の基本を学ぶということにつながるということです。人間社会と申します。そこには社会のルールと言って、礼儀や道徳教育、儒教、仏教での教えが、私たち日本人の文化として伝わって、それらを伝えるための一つの手段として、『道』のつく茶道、華道、合気道、柔道、剣道などがありますね。ですから、空手道も、人としての道を学ぶ一つの手段と捉えることにより、単なるスポーツ教育ではない武道教育につながるべく指導方法の研究というのが大事になると思うのです。
私たちの道場では、今すぐテクニックが身に付きメンホー空手に通用する空手使いを養成するのではなく、高校、大学、社会人と進むにつれて強くなる空手、つまり、小さいときにはしっかり基本を徹底して体に覚えこませておくことが大事ではないかと思います。立ち足、姿勢、そして移動、回転など、すべてにおいて技の点検をし、技術を磨くこと、技術を磨きながら心術につながる修養を進めるということです。空手がスポーツではなくより武道であることを主張したいのはこの辺のところです。
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by kancho39 | 2005-11-18 13:22 | ◆武道と空手

●武道と● 活殺自在が空手道の本来

■あごひげ

a0068770_15154448.jpg空手は武道、武術、格闘技、いづれの性格も合わせ持っています。ルールの上に成り立って居るわけだから、活殺自在であるはずの空手道を、『医』の分野からも技術・心術と合わせて追求することはとても重要なことです。頭部への打撃目的の稽古をしつつも、一方、その危険性についての勉強も絶対に必要です。よく、『空手を習うと当てられた痛みが分かるから他人にしないようになる・・』と、親たちもそのように理解してくれている部分はありますよね。私たち指導者はさらに、その痛み以上に危険性をも知っておくべきです。よく一般の人には『当てる空手ですか?』と単純に聞かれます。私はハイ、と返答します。中段よりも上段を狙うことが特に多いですから。。一方、子供を連れて見学に来る親御さんには『寸前に目標をおいて稽古しますから安全です』と答えます。。JKA全国合宿のときに大坂先生が、『人体への影響を忘れてはならない・・。一生涯に影響を及ぼすようなことがあったときにそのご家族に対して謝りようがない・・』と、稽古の合間におっしゃっていたのを思い出します。強い空手、極めの空手を進めている空手であるならばこそ、危険性については特に過敏に受け取って行かなければならないのは当然のことです。すると、私が書いてきた、頭蓋骨への影響、人体への影響については、武術性、格闘技性の追求をする一方で指導者みんなが本来責任を持って取り組まなければならないことではあるまいかと考えます。
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by kancho39 | 2005-11-18 12:49 | ◆武道と空手

●武道と● 武道空手とは

■東京、瀬戸先生より
 ※平成4年11月、掲示板への書き込みから。

 a0068770_13351129.jpg私は空手が残された最後の武道だと確信しています。特に空手協会の空手は武道空手でなければいけないと思っています。何故、空手が残された最後の武道だというと、空手協会の試合には恐怖心が伴うからです。恐怖心の無い試合はスポーツ、あるいはゲームです。協会の試合にはルールが有っても、止めてくれる保証は何もありません。相手は止めるつもりが無いかも知れないのです。飛び込んだ瞬間に相手に殴られて、前歯が折れ、鼻が曲がり、ほお骨が陥没するかも知れません。現に協会の試合では、大会中何人かの選手は偶然あるいは故意に当てられて倒れるシーンを目にします。その恐怖心をうち払い「無」になって飛び込んで行く、ここに強い精神力が生まれてきます。メンホーなどの防具に身を包んで試合をしたのでは真の強さを養うことは出来ません。恐怖心を乗り越え自分を棄てきった時、初めて本当の意味での強い人間が生まれます。武道、武士道の有るべき姿、目的は私心、私欲を棄てきり、迷いを無くし人間としての正しい道をいかに歩むかです。それには如何に己を棄てきることが出来るかが大切です。武道とスポーツの違いは、常に生命の危険にさらされているかどうかによって決まります。しかし、それだけでは駄目です。日本の素晴らしい精神文化を受け継ぎ、先人が求めた人としての道を自分のものとする為に修行をし肉体的にも精神的にも自分を鍛える。そういった心掛けがなければだめです。スポーツのようにく勝負に対しての勝ち負けだけがが最終目的ではなく技や技術を習得する過程において人間として如何に磨くか。日本文化の美意識を身に付けるか、ここが武道とスポーツとの分かれ道ではないかと思います。
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by kancho39 | 2005-11-18 12:48 | ◆武道と空手