●武道と2● 空手へ、鉄騎へ |
■東京、むさし先輩資料より ※空手は本土にきてから日本独特の土壌に溶け込んだ そもそも空手というのは中国から沖縄を経由して日本本土に伝わってきたと言われており、大正11年頃に富名腰義珍先生が東京で初めて空手の演武をしたのが、本土に近代空手が伝わってきた最初だと言われています。富名腰先生はもともと教育者であり、本土では慶応義塾や東京大学など、大学生を中心に空手を教えました。 沖縄では空手をみだりに人に教えてはならないとされていただけに、これは日本の空手にとって非常に幸いであり、それ以来、空手は日本の君子の武道として発展していく事となるわけです。例えば仏教はインドで生まれて中国や朝鮮半島を通って日本に伝わり、日本独特の仏教になりました。 もともと日本という国は平安時代の頃から、輸入された文化をすべて国風文化としてしまう国でした。空手というのも恐らくそれと同じようにインド・中国を経て沖縄で発達し、本土に伝わってきてから、伝統柔術の「拳法」・「蹴法」を含めた日本武道という土壌の上で日本独特の武道としての空手道に育っていき、そして、その間、日本人の肌に合わないものは除去されていったのだと思います。空手の「から」の字も、当初は中国(唐)の手として「唐手」の字を使っていたのを、富名腰先生が仏教の言葉から引用した「空」の文字を用いて「空手」に改め、また形の「ナイファンチ」を「鉄騎」と改めたのも、そのひとつと言えるでしょう。もともと日本の空手と沖縄の唐手は育った土壌が違いますが、こうして本土に伝わってから、日本本土に古くから伝わる武士道という長い伝統の中にうまく溶け込んでいったのではないでしょうか。 |
by kancho39
| 2005-12-28 09:32
| ◆武道と空手
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